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戦略もリーダーシップもなし 不安ばかりの高市政権の選挙制度改革議論

11〜17分

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高市政権の「選挙制度改革」議論が迷走している。今回のメインテーマは日本の安全保障とアメリカ合衆国の戦略の破れなので、「政治改革という内輪の問題さえ解決できない高市政権」という文脈で整理する。

高市政権は見かけ上の勇ましさと戦略のなさが同居する極めて不安定な内閣である。この姿勢は経済財政でもよく現れている。高市総理は「最後は政府が責任を取る」と勇ましい発言を行っていたが、日本がインフレか金利上昇かの二者択一を迫られると議論から逃げ「日銀にすべてをおまかせします」との発言に終始するようになった。

同じような逃げの姿勢は選挙制度改革・政治資金改革にもよく現れている。

しかしこの戦略やメッセージングの不在はいわば自民党の伝統芸のようなものである。

政治とカネの問題について書いているとよく「中高年がなぜこの問題に固執するのかよくわからない」という声を聞く。政治とカネの問題は長年の累積によって積み上げられた印象に過ぎない。このため共通の経験を持たない人たちとの間で共有することが難しいのである。

発端はおそらくリクルート事件だった。当時の新聞記事などを読むと「高くて家が買えない」という不満が多かった。そんな中で江副浩正氏がリクルートコスモスの未公開株を政治家や官僚に配っていた事がわかった。これがリクルート事件(1988年)だ。当初は川崎市の土地開発を巡る許認可の問題だとされていたのだが、瞬く間に政界に疑惑が広がっていった。

この問題はこれだけで終わらなかった。当時の竹下内閣は地方自治体に1億円を配るというふるさと創生1億円事業を行っていたが、「消費税導入のための取引」とみなす人も多かった。消費税は毎日の買い物から税金が取られていることが可視化されてしまう必要以上に痛税感が強い税金で、今でも税率が問題になる。景気対策として「消費税減税または廃止」が議論になるのはそもそも導入時に「納得感」が得られていないからである。

こうして国民の間に漠然とした不信感が高まってゆき、竹下内閣はリクルート事件の責任を取る形で辞任する。しかし殆どの有力政治家がリクルート事件に関与していたため後継者レースが成立しなかった。結果的に1989年の参議院選挙で過半数割れに追い込まれている。

この数年後に起きたのがバブル崩壊(1991年から1992年)である。しかし自民党政権は責任の所在を明確にせずその「フリーライダー気質」をいかんなく発揮している。

こうした不満は「政治家は何らかの形で失敗の責任を取るべきだ」という形で積み上がっていった。

海部内閣は選挙制度改革を推進するのだが党内造反によって潰された。このときに「海部下ろし」が吹いたことから次の宮沢内閣の政治改革姿勢は慎重なものだった。これに反発したのが小沢一郎らだった。後に非自民党系の細川連立内閣に繋がってゆくが、細川護熙氏も政治とカネ(東京佐川事件)で失脚する。

当時の議論は「責任」がやがて「選挙制度改革」に矮小化されていった。結局誰もバブル崩壊の総括をせず当然責任も取らなかった。次第に「なぜ選挙のたびに札束が飛び交うのだろう?」という議論に矮小化された結果、中選挙区が良くないという安易な方向に議論が流れていったのだ。

こうして有権者の間に

  • 政治家は責任を取らず
  • おカネがかかる選挙はよろしくない
  • が、選挙制度を改革すれば問題は解決する(かもしれない)

という漠然とした印象が生まれた。

その後、高度経済成長を背景にした「将来のための蓄え」に群がった人々の姿が浮き彫りになってゆくのだが、このときも誰も責任は取らず国庫負担だけが決まってゆく。

このようにそもそも国民が経済に不安を感じると「政治制度改革・政治資金改革」に議論が流れてゆく傾向がある。しかし誰も議論に関心を持たず「その議論の中でどう振る舞えば自分たちの権益を拡大するのか」に関心を持ってしまう。結果的に有権者は漠然と「政治にはカネがかかり」「それは良くないことなのだ」と感じることになる。

今回の議論もすでにそうなっている。

維新は自分たちが改革政党であると打ち出すために選挙改革を利用している。また自民党も連立政権維持のためのコストであると認識し「できるだけ安いコスト」で済ませようと考えているようだ。

国民民主党は埋没を避けるために「いやいや中選挙区制度を復活させるべきである」といい出し、立憲民主党は「中選挙区は金がかかる」と主張。すでに「循環論法」に陥っている。

時事通信の「野党、献金規制掲げ抗戦 定数削減、駆け引き激化へ」によると、すでに選挙制度改革は政党間の駆け引きの材料となっている。

  • 立憲民主党は政治資金規正法の審議が先だと主張し、公明党と国民民主党の案に乗ろうとしている
  • 比例代表の削減によって影響を受ける公明党と共産党も激しく反発
  • 維新は過半数確保のために参政党に接近、参政党も応じる可能性が高い
  • 維新は議事進行を安定させるために議長を奪いたいが、委員長を出すと数的無優位を失うジレンマを抱える
  • そもそも自民党にも反対する人が多く「焦って審議するテーマではない」と言っている

今回のメインテーマは国家安全保障だ。アメリカが戦略重視から国内選挙重視にシフトしているためアメリカの安全保障政策には様々な破れがある。日本の国防議論はこの破れに影響を受けて混乱する可能性が高いため、独自でフレームワークを作ってアメリカに提案、また世界に対して「中国の主張は間違っており、日本は国際協調の有力なパートナーでありプレイヤーである」と示す必要もある。

しかしながら、そもそも自分たちの選挙制度を決めることもおカネの使い道について国民に説明することすらできていない。高市総理のリーダーシップも見られない。

つまりこのままでは日本の安全保障議論はアメリカの破れに引っ張られてかなり混乱するであろうことが容易に予想できる。

冒頭に示したように議論から逃げる姿勢は経済財政政策でも顕著だ。しかしそもそも国民も政治がイニシアティブと取って何かを決めてくれるとは考えておらず「せいぜい中古市場を活用して支払いを抑えよう」「増税をいい出した内閣は見捨てよう」と決めてしまっている。

こうして日本は議論スキルの不在から縮小均衡を自主的に選択していると言える為、高市総理がいくら「働いて、働いて、働いて、働いて、働いて」も単に疲れるだけで暮らしが良くなることはない。

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