そもそも戦略を持たず長時間働いていれば結果が出ると信じている高市総理のもとで案の定選挙改革議論が迷走している。このままでは日本社会は議論に疲れ果て現状認識を選んでしまうだろう。ただ今回は議論にAIを採用したため単に政策を批判するだけでなく「本来どうあるべきだったか」が検証できる。便利な時代になったものだ。
今回は単なる政権批判を避け、高市政権は維新と協力することで、イニシャルコストを先に支払い、日本を再成長に導くためのより良い均衡を目指しているという物語を導入した。そもそも「軸」はAIで生成しており、その後の検証を行いやすくしている。
今回の選挙制度改革を巡る一連の議論はこの物語に整合的でない上に、議論の核がないことで認知飽和が起こり現状維持を選んでしまうという危険な結果をもたらすというのが議事録の内容だ。その原因の一つは単に議論のやり方を学べば克服できる程度のものであり実に惜しいという結論となった。つまりコスパが悪すぎる頭の悪い議論をやっているのだ。
では議論の内容を見てゆこう。そもそも当ブログは今回の定数削減議論は利益誘導のために自民党にすり寄った維新の正当化に過ぎないと考えている。しかしながらこれでは話が終わってしまうのでChatGPTは高市政権と維新には戦略的な意図があると主張した。
- 献金の受け皿を党本部と都道府県連に限定する国民民主・公明両党案
- 献金規制を検討する第三者委員会を国会に設置する自維案
- 受け皿を政党支部に制限して政治資金収支報告書のオンライン提出を義務付ける自民案。
企業献金を全面禁止すると自民党の組織が弱体化する。このため立憲民主党などが全面禁止を訴えてきた。国民民主党と公明党はやや妥協的な案を出し「都道府県連」だけが受け取れるようにするという提案を行った。維新は自民党を擁護し改革姿勢を見せるために「そんなことよりも定数削減だ」と視点をずらそうとしていた。この「そんなことよりも」発言は後に炎上し高市総理が釈明に追い込まれている。意図せず失言を連発する。高市氏はまさに失言マシーンである。
維新は従前との主張との整合性を維持するために企業献金規制について議論すると言っている。そのために「ゼロから献金について議論をする第三者委員会」を作ることにした。
その一方で自民党は「企業献金ありき」で収支報告書のオンライン報告の議案を「単独で」提案しており野党から第三者委員会は単なる時間稼ぎなのだろうと批判されている。党内の不満を逸らす「安定化装置」に役割があるのだろうが、維新が収支報告書案に乗らなかったことからも改革に逆行する法案であることは明らかである。
一方、この日、自民が単独提出の方針を決めたのは、献金の存続を前提とした法案だ。政治資金収支報告書のオンライン提出の義務づけなどが柱となる。献金の受け皿を政党が指定した政党支部に制限することや、献金した企業・団体の公表基準額を「年1千万円超」から「年5万円超」に引き下げることも盛り込まれた。存続を前提とした法案を出しておきながら、献金のあり方を議論する有識者会議を設置するという整合性のとれない状況になっている。自民の閣僚経験者は「第三者機関を作ろうというのに、単独で公開法案を出す意味が分からない。(有識者会議の設置は)時間稼ぎだろう」と語った。
自民、強まる「政治とカネ」後ろ向き姿勢 企業献金温存、野党は反発(朝日新聞)
こうした一連の議論のわかりにくさは平成初期の政治改革議論にそっくりだ。
バブルで不動産価格が高騰すると国民の不満が自民党に向かった。しかし自民党の議論に対する姿勢は極めて後ろ向きだったため、細川連立政権の誕生をもって自民党は政権を失っている。元々の献金は「未公開株」などの違法なものだったため今でも国民の間には政治献金に対するネガティブな感情が残っている。国民は不動産価格の高騰に苦しんでいるのに政治家と官僚だけは未公開株で儲けようとしていた。
前回の政治改革と今回の違いは、維新という表向きは改革指向の政党が入っているという点は違っているが、それ以外の議論の迷走ぶりは当時とそれほど変わらないという印象がある。だから維新も所詮は疑似改革政党だろうと考えたくなる。つまり今回のいわゆる改革も率先して変化を起こすためのイニシアティブではなく不満をかわすためのコストを渋々支払っているにすぎない可能性が極めて高いことになる。
ただし最初から疑っていては話が進まない。そこでAIが作った「あるべき姿」を一旦受け入れてみてそこからのズレを計測することにした。
しかし、議論はそれ以上に迷走を始めている。
国民民主党が新しい提案を持ち込んできた。それが中選挙区制の議論である。埋没傾向の国民民主党が存在感を発揮するために「選びたい人がいない」という不満の大きかった小選挙区制に疑問符を投げかけている。
当然国民民主党にとっては有効な戦略なのだろうが全体にとって有益な戦略なのか?には疑問が残る。
そもそも「なぜ政治とカネの問題」が有権者の中心課題なのか理解できない人が増えている。政治とカネの問題が中心課題なのはそれが「責任を取らない政治」の象徴として扱われているからなのだが、それが言語化されることはない。
- なぜか企業献金の問題が浮上し
- なぜか議員定数削減の問題にすり替えられ
- なぜか中選挙区の話が出てきた
つまり誰にとってもさっぱりわけがわからない議論になっている。
ChatGPTに今回の選挙区の議論をフィードしたところ「これは高市改革という物語」に逆行する動きであり、議論の中心核が失われることにより「そもそも何を話し合っているのか」がわからなくなるため、人々が「だったら現状維持でいいや」と考えるのではないかと推論した。
出力ログから拾うと次のようになる。
問題は、高市政権が怠慢なのではなく、「物語不在のまま論点が雪崩のように積み上がっている」という構造の方が支配的だという点です。
現在のテーブルには、同時に以下の議題が乗っています:
- 政治資金規正法(裏金)
- 議席配分改革
- 定数削減/増
- 比例区の扱い
- 小選挙区・中選挙区の制度比較
- 連座制の強化
- 公職選挙法の構造改革
- 財源論(政党助成金や企業献金)
- おこめ券問題(レントシーカー問題)
- 国会改革
これは単純に 認知的に処理不可能 です。
結果的に決定疲れ(decision fatigue)から選択回避(choice avoidance)が起きるとAIは予想する。
そしてこれまでの議論を統合すると、制度的、政治行動的、認知科学的に「何もしないほうがいい」という結論を強化する方向に収束してしまう。つまり政治は何も解決できずしたがって何も議論せず何も変えないのが最善であるといういつもながらの結論に落ち着いてしまうのだ。
ただしこうした問題は単に「議論のやり方」を学ぶことで克服できる程度の問題だ。AIは議論のやり方をいくらでも提案できるが、それを人間に強要することはできない。

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