ついにNHKの日曜討論で「クマ被害」が取り上げられた。秋田県知事が現場の疲弊具合を切々と訴えたそうだ。今回の一件で明らかになったことがある。地方の生業(なりわい)が崩壊すると崩壊のコストを国民が広く受け入れる必要が出てくる。ただし国が提供する仕組みは効率が良くないため国民全体にとっては不利益な状況が生まれると言えるだろう。
今回のクマの被害の直接の原因は気象変動によるものとされる。温暖化の影響でイノシシが北上しクマの餌が奪われているのだという。ここにどんぐりなどの不作が加わるとクマが里に出てくる。里に出たクマは「里には美味しいものがたくさんある」と学習してしまうというわけだ。
しかしながら今回の一連のクマ議論で語られない問題もある。それが里山整備である。日本は狭い国土にさまざまな利権が入り組んだ複雑な構造を持っている。境界線が整備されているわけではなく共同で管理する「入会地(いりあいち)」が存在した。この入会地の中には野生動物と田園を区切る里山が含まれており猟師による害獣駆逐や追い払いなどが行われていた。
調べると木材の国産化率が下がってしばらくして猟師が捕る獲物の数が減っていることがわかる。生業としての林業が衰退すると入会地管理が行われなくなっていったのだろうということがわかる。高齢化に伴い当時の事情を知っていた人が減ると次第に人々は「自分たちが里山をどう管理していたか」を思い出せなくなっていった。
ただし「獲物を狩らなくなったことで被害が増えた」という考え方に抵抗する人達もいる。彼らは銃猟が近代化されてからの統計だけを抜き出すのは公平ではなく、もともと日本の農業は野生動物との戦いであって「本来の姿にもどっただけなのだ」と主張する。
本来なら日本の保守は我々日本人がどこから来てどこに行こうとしているのかを議論しなければならない。しかしながらいわゆる日本の保守が展開するゲームの目的は自分たちの力を最大限に誇示することであって、日本人全体の功利の最大化ではない。結果的に日本の保守は日本の伝統には大した関心を示さない。
入会地は生業を持った人たちの利権によって管理されているためある程度の効率性があった。またそのコストはおそらく山や田畑から得られる収益から賄われていたのだろう。日本に西洋型の資本主義が導入される以前の「古い資本主義の形」といえる。
一旦これが失われると里山管理は単なるコストということになる。また全国に一律の法律を運用する必要があるのだからどうしても効率が悪くなる。結果的に国民が得られる利得が失われることになる。
なお2009年のノーベル経済学賞はこの入会地(英語ではコモンズという)の研究に贈られている。受賞者のエリノア・オストロム氏は経済は長期ゲームであると定義付けたうえで「コモンズが利得を増やす」というモデルを作った。ただしゲームの前提は長期ゲームなので、現在のアメリカ合衆国のような短期ゲームの積み重ねではコモンズは正当化されない。むしろコモンズだったものを私物化し高く売りさばいたほうが「トクだ」というような考え方が支配的になっている。
こうした共有財産の管理問題は例えば自治会とゴミ集積場のような問題を引き起こす。自治会がゴミ集積場を管理している場合「自治会を抜けた人にはゴミ集積場を使わせない」というようなことが起きる。一方で自治会を抜けた人にもゴミ集積場を使わせるとゴミ集積場が汚されても関心を持たないという人が出てくる。便益は得たいがコストは支払いたくないという人が増えると調整コストが増え結果的に全体のコストが上がってしまうのだ。
