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2025年ノーベル経済学賞で考える企業・団体政治献金問題

8〜12分

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今日の国内トピックは吉村維新代表の「一人歌舞伎問題」である。自民党の利権構造に擦り寄るしかないが維新の基本的価値を毀損してしまうために必死のお芝居をしている。しかしながらこの問題を扱うためにはまず基礎になる「なぜ自民党の政治献金は悪なのか」という問題を解かなければならない。そのために利用できるのが2025年のノーベル経済学賞である。イノベーションについて扱っている。本来ならば何かの記事を参照したいのだが、適当な記事が見つからなかったため自分でGEMINIに質問をして情報を整理するハメに陥った。

2025年のノーベル経済学賞についてはPIVOTが扱っている。研究の概要はわかるのだが正直何を言っているのかがさっぱりわからないのでGEMINIで整理することにした。

受賞者は3人でイノベーションについて扱った経済学史(モキイア氏)とモデルの組み合わせ(アギヨン・ホーウィット氏)になっている。これはPIVOTの説明通り。

  • ジョエル・モキイア(Joel Mokyr)
  • フィリップ・アギヨン(Philippe Aghion)
  • ピーター・ホーウィット(Peter Howitt)

モデルは「創造的破壊を伴ったイノベーション」について扱っている。日本人が考えているような段階的なイノベーションではない。そしてそれが多ければ多いほどいいとは言っていない。多くても少なくても弊害があるため「最適な基準」がある。イノベーションが多すぎると成果を得る前に価値が破壊されてしまう。競争が弱いとイノベーションを起こして市場を奪還しようという意欲が生まれない。

この理論は政治の役割について言及している。国家は投資家として基本技術(誰も投資したがらない)を支援し、破壊された産業に対するセーフティネットの役割を果たす必要がある。投資家(Investor)と保険者(Insurer)と表現される。

アメリカ合衆国は基礎研究への投資を継続的に行い、外国から優秀な人材を集めて来た。特にバイデン政権はクリーンエネルギーとEVという新しいフロンティアを創造しイノベーションの成果を実用技術に転換しようと試みている。

しかしアメリカ合衆国はこの過程で競争から脱落しつつある人々の救済に失敗しトランプ政権の反動につながった。アメリカ合衆国は保護主義に走り外国からの優秀な人材を排除しようとしている。今後アメリカ合衆国の「イノベーション・エンジン」に悪い影響が出るだろう。

では日本はどうだろうか。戦後の日本はアメリカ合衆国で起きた創造的イノベーションを模倣・精緻化に特化してきた。職人気質のある国だがこれは要するに昔ながらの技術をできるだけ守りたいという気持ちの裏返しだ。

バブルが崩壊によってトラウマを負った日本企業は政府による救済と現状維持を求めるようになると同時に国内での投資をためらうようになった。他者の創造的破壊にフリー・ライドしたほうが簡単に儲けることができるからだ。

中国も同じようにアメリカのイノベーションにフリー・ライドしている。人材を育て新しいフロンティアを作っているのはアメリカ合衆国であって中国はその精緻化をしているだけ。このままでは成長の鈍化は避けられないだろう。

日本の企業が現状維持を求めて政府に働きかけているとすれば、日本が再び成長するためには企業と政治の間にある関係を断ち切らなければならないということになる。

技術革新を受け入れたがらない地方の建設業は自分たちのノウハウで構築できる単純な土木工事を求めている。これに目をつけたのが二階俊博幹事長だった。公共事業悪玉論が持ち上がると「国土強靭化」とラベルを付け替えている。実は国土交通省を利権化した公明党はその意味では共犯者である。また医療現場もできるだけ多くの患者に薬を売ったほうが手っ取り早く効率的に儲けることができる。

つまり政治とカネの問題は「日本が再び成長するための適切な競争環境をどう構築するか」という命題と関連付けて議論される必要がある。

しかしながら「失われた30年」の間にそもそも適切な競争環境を見たことがある人がいなくなっておりこうした議論は、少なくとも政治言論の現場では、全く起こらなくなっているのが現状だ。「吉村一人歌舞伎」の記事では政治とカネの問題が結局は政党の生き残り戦術に過ぎないということを説明する。

もっともこの問題はそもそも日本経済は成長を究極の目標にすべきなのか?というイデオロギー問題も突きつけている。これについては人それぞれの意見があることだろう。つまり日本は成長依存型の経済から脱却し貧しくても平穏な暮らしを目指すべきなのだという主張は当然ながら存在する。

“2025年ノーベル経済学賞で考える企業・団体政治献金問題” への2件のフィードバック

  1. 細長の野望のアバター
    細長の野望

    プレジデントオンラインで、「創造的破壊を伴ったイノベーション」について以下のような記事を読んだことを思い出しました。
    「ノーベル経済学賞研究で「日本人の給与が上がらない理由」がわかった…日本の生産性を下げた”悪しき文化”」
    https://news.yahoo.co.jp/articles/02968603416d683c3fb83f0b2e9d657dd775065d

    技術や産業だけでなく、社会制度においても「創造的破壊を伴ったイノベーション」が必要であると書いてあり、なかなか読んでいて面白いなと思いました。
    以前、Gemini 2.5 Flashに、日本の財政の透明性が低いことを教えてもらい、意外にも韓国の透明性が高いことを教えてもらったことがあります。そこで、なぜ日本では透明性を高めるように改革ができなくて、韓国はそれができたのかを聞いたら、日本は既得権益の妨害と財政構造が複雑すぎるためで、韓国は1997年のアジア通貨危機で経済危機が深刻になったため、改革をせざるをえなかったというのが得られた答えでした。
    つまり、尻に火がつかないと変えられないというわけで、もっと日本が追い詰められないと変われないと言われているように感じ、少し気持ちが落ち込みました。

    1. 一方で社会変革が進みすぎるとフランスやアメリカのような状態になるわけで「適温」はなかなか難しいってことなのかもしれないですね。今回のノーベル経済学賞の「逆U字」はそのことを示しているんだと思います。