公明党の地方組織が会合を開き斉藤鉄夫代表に対応を一任した。このニュースだけを見ると公明党も連立の甘い汁を忘れられないのだろうと感じる。つまり連立危機は一山越えたというわけだ。ところがさまざまな媒体を読むとどうやら逆のことが進行しているらしい。つまり公明党は離婚を切り出したいが自分からは言い出せないので相手にきっかけを作らせようとしているのだ。
私達別れてからも「家族同然の」良いお友達でいましょ
というわけである。
公明党が地方組織の会合を開き斉藤鉄夫代表に対応を一任した。儀式的にガス抜きを行い10日の交渉で形式的な妥協を引き出せば、連立危機はなかったことになるというわけだ。
公明党も政権政党の甘い汁を忘れられないのだろうと書きたくなる。
ところがどうも様子がおかしい。赤羽中央幹事会長が「連立を解消しても要所要所で協力する」と言っている。人物本位で応援したい人だけを応援するのだという。
公明党の会合では「連立を解消すべきだ」という声と「連立を続けるべきだ」という声がまとまらなかったそうだ。東京のように萩生田都連会長(当時)と戦争状態に陥った地域もあれば、西村康稔氏を支援した兵庫県や三ツ林裕巳氏を支援した埼玉県などの濃淡がある。
兵庫県は維新という大きな敵の前に団結しなければならないという事情があったのだろう。大阪の選挙区では落選者が出たが兵庫県の議席は死守した。兵庫県では西村氏と公明党は連携ができていたということになる。
一方で埼玉県は石井啓一代表(当時)が衆議院選挙区での立候補にこだわり三ツ林裕巳氏の支援を期待したという観測がある。ところがこのあからさまな共闘は有権者の支持を得られずどちらも落選してしまった。
つまり「人物重視」とは言っても人柄が重視されているのではない。あくまでも選挙での票の貸し借りの問題なのである。
記事を読み始めた段階で「政権の甘い蜜」と感じたのは、この国の政治が利益分配型であるという認識があるからだ。分配機構の中にガッチリと組み込まれていなければ甘い汁は流れてこない。
しかしながら兵庫県と埼玉県の事例は、政権政党でいつづけることで国民からの反発を受ける可能性が高まっているということを示唆している。地元をガッチリと掴んでいる西村氏は「良い人物」で地元との結びつきが弱く貢献ができない三ツ林氏は「悪い人物」なのだ。
協力解消の背景にあるのが不利益分配である。
国家経済が縮小してゆく中で政権与党が分配できる原資も削られてゆく。枯れかけた井戸の周りにはのどが渇いた人たちが集まっており「その他大勢」の無党派は水がもらえない。無党派層はそれでもなんとか生き延びるわけだが次第に「水を独占する人たち」に冷ややかな敵意を向けることになる。さらに少子高齢化に対応するために政治は有権者に負担を求めてゆかなければならない。利益分配がないのに負担ばかりが求められる。これでは敵意が高まって当然だ。
この枯れかけの井戸問題と不利益分配問題が何をもたらすのか?というのが今の政治テーマだ。最適解は「財源のような面倒な問題にはかかわらず分配だけを得よう」とすることだろう。政治家は国家像を示すべきという掛け声とは裏腹に「負担を避けて利益だけを取ろう」という政党が増えてゆく。そして、この戦略で成功しているのが国民民主党と維新だ。
当然公明党も彼らのピボット戦略を羨ましく感じても何ら不思議ではない。このような環境下では当然離婚欲求が出てくるのだが、長年連れ添っただけに自分からは言い出しにくい。そこで無理な要求を突きつけて相手にきっかけを作らせようとしているのかもしれない。
