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小泉進次郎氏の敗北 なぜ田崎史郎の夢は砕け散ったのか

6〜9分

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当ブログでは田崎史郎さんをオールドメディアの政治報道の象徴として取り上げている。「かつての美しい日本」に対する郷愁が美化された心理的状況であり厳密に言えば田崎史郎さん個人について言及しているわけではない。

このエントリーでは小泉進次郎氏に感じたズレについて記述する。言語化できない違和感があった。例えて言えば「麦わらの一味」的なのである。ONE PIECEは1996年初掲載で1997年から連載されているそうだ。小泉進次郎氏は1981年生れ。

今の日本には物資は豊富に存在する。しかし誰もが「それを誰かに取られるのではないか」と思っている。例えて言えばお菓子をたくさん持っている子供がそれを両手に抱えて盗まれないようにしている状況である。

こうした状況におけるリベラルはその優しさにつけこまれるだけの存在。すなわち「お菓子を取られてしまう」という恐怖心を持った人たちからは支持されない。リベラルは方針を転換しなければならないだろう。具体的には極めて強い防衛的メンタリティを持った人たちをどう取り込むかが重要だ。

そもそも戦後復興期は今とは真逆の時代だった。戦争ですべての物資はなくなったがもはや国家から圧迫されることはなくなった。さらに戦後すぐに米軍が救援物資を持ち込み「資本主義の甘い蜜」を宣伝し始める。つまり何も持っていないが豊富に物が入ってきた時代なのだ。

「オールドメディア」と呼ばれる人たちは他人の問題として困窮について触れはするが自分たちは生活困窮を感じていない。このため高度経済成長期を背景にした寛容な日本を懐かしむ傾向がある。その思い出と自己像はかなり美化されており「血筋もよくイケメン」の小泉進次郎氏に大きな期待を寄せたのだろう。

確かに小泉進次郎氏は抜群の知名度を誇っており自ら売名に及ぶ必要がなかった。このため性格がかなり鷹揚であり昔を懐かしむ老人たちの期待を集めやすかった。しかしながら本人の言葉を聞いていると「そこはかとないズレ」を感じる。実は背景が全く違うのだ。

生まれは1981年でバブル崩壊時代は小学生。

小泉進次郎氏が初当選したのは2009年。このときの当選同期は5人しかおらず、小泉氏は唯一行政・政治経験がなかった。このため少ない仲間たちで助け合ってきたという自負があるようだ。

このためやたらと仲間を大切にするフレーズが多くまるでONE PIECE(連載は1997年からだそうだ)の「麦わらの一味」のような風情である。ONE PIECEはインドネシアなどの数カ国で反政府運動の旗頭に使われている。人口動態が若いインドネシアでは政治の主役になれるが日本ではこれほどのプレゼンスを得ることはなく「しょせんマンガ」扱いだ。

おじいさんたちは小泉進次郎氏に「昔の美しい自分」を重ねるのだろうが実は出てきた背景が全く違う。そしてその夢はものを豊富に持っているが失う脅威にさらされた余裕のない人たちには響かなかった。

では高市早苗新総裁は両手を広げて今あるお菓子を守りたい「子どもたち」の代表者になれるだろうか。ワークライフバランスを捨てるというフレーズを聞いて「あほちゃうか」と感じた。高市早苗氏は空回りするか自民党と日本を崩壊させるだろう。