男性皇族が減少する中で女性皇族の役割が拡大している。しかしながら女性皇族の処遇は不明確なままで曖昧な状態が続いていた。そんななか、三笠宮家を彬子さまが引き継ぎ、信子さまは「三笠宮寛仁親王妃家」という新しい家を創設することになった。予算の拡大が問題視されることが多いが「家の中の先祖崇拝儀式をどうするか」という神道の家柄ならではの悩みも大きかったようである。
彬子さまの父親は「寛仁親王」であって三笠宮ではなかった。これは寛仁さまなど息子たちが父親より早く亡くなってしまったため。このため三笠宮の当主は百合子さまだった。しかし百合子さまと信子さまの間には確執があるとされ週刊誌で度々取り上げられていた。
その百合子さまが亡くった後も信子さまは一家と連絡を取らず「家を出た」状態が続いていた。彬子さまが信子さまを「門前払い」したと伝える報道も出ていた。
三笠宮崇仁さまが亡くなり百合子さまも亡くなったことで、順当に行けば当主は信子さまということになるが他の皇族との間に連絡はない。過去の確執から信子さまを新しい当主にすることは難しく、かといって新しい宮号を与える先例もない。そこで寛仁さまが三笠宮の宮号を継いだことがないにも関わらず、三笠宮寛仁親王妃家として独立させることにしたのだろう。
当主は法的概念ではないために「予算」が問題になることが多いがTBSの宮内庁担当記者は「祭祀を主催する」人と位置づけている。つまり当主が決まらなければ神道的に重要な三笠宮のお祀りができないということだ。なお高円宮の祭祀は久子さまが引き継いでおり、長女の承子さまが家に残っている。詳細は明らかになっていないが「男子がなく断絶見込み」とのことなので承子さまが家を出てしまうと高円宮のお祀りができなくなるということなのかもしれない。
主に政治的な理由で女性皇族の処遇がまとまらないなか、公務負担だけは増してゆく。また皇室の神聖さを演出するために普通の家であれば珍しくない嫁姑の間の確執なども表沙汰にすることは許されない。また伝統祭祀を継続する責任も課せられてゆく。女性皇族が置かれているお立場は我々が考えている以上に過酷なものなのかもしれない。
なお信子さまは麻生太郎氏の妹。麻生太郎氏が長男で信子さまは末娘だそうだ。
