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「マスコミの終焉」を印象付ける読売新聞の謝罪騒動

8〜13分

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文春が「石破茂首相と読売新聞グループ本社・山口寿一社長が“極秘面会”していた!」とするスクープ記事を出した。読売新聞はすぐさま反応し報道を否定している。これまで世論操作に大きな役割を果たしてきたマスコミの終焉を印象付ける興味深い内容だった。Bloombergのリーディー氏は現在の政治状況を「空洞化」と言っている。諸課題が山積する中で総理大臣のやめるやめないという政局が政治の中心課題になる状を外から冷ややかに見つめている。

読売新聞は非常に不思議な新聞社だ。責任問題で警察を追われた正力松太郎氏が戦前に10万円で新聞社を購入。ところが戦争を推進した罪で公職を追放されると今度はテレビだとばかりに「日本初の」テレビ局開局に向けて活動を再開した。アメリカ合衆国にも直接世論に介入したいという思惑があり正力松太郎氏の構想を支援した。この時にマイクロ波を使った通信分野にも参入しようとしていたようだ。

結局この構想は日本政府を警戒させることになりマイクロ波を使った通信分野への参入は頓挫する。正力松太郎氏はその後アメリカの国策に従って唯一の戦争被爆国として拒否反応があった原子力技術の導入にむけて活躍し、読売新聞社に復帰した。

社主が政治を動かしてきたという自負のあった読売新聞はその後渡辺恒雄氏のもとでその意識を高めてゆく。渡辺恒雄氏は「主筆」として亡くなるまで強い影響力を持ち続けた。2007年に福田康夫総理と小沢一郎民主党代表に大連立を働きかけた等と言われている。政治を伝えるのではなく政治状況を作るという意識があったことがわかる。

そんな読売新聞が注目されたのは石破総理が辞任の意思を固めたという号外報道だった。後に報道は否定され号外は貴重なコレクターズアイテムになった。今回の文春の報道はこの「号外」について山口社長が謝罪したという内容。

読売新聞はすぐさま反応し次のように書いている。

  • グループ本社の山口寿一社長が今月上旬、石破首相と面会し、首相の退陣報道について「謝罪の意を表明した」と断定 → 謝罪した事実はない
  • 「政治部はアンタッチャブルで、自分では制御がきかなかった」と釈明した → このような発言は一切なかった

この面会は首相動静には載っていないそうだが、面談がなかったとは書いていないのがポイントだ。後は「どういうつもりがあったか」という意図の問題だけ。読売新聞側が低姿勢を貫き官邸側が「要するに山口さんが政治部をコントロールできなかったんだろう」と理解した可能性があるということになる。

さらにこの「会談」の内容をリークした人がいるということだ。「間違い」を認めない読売新聞社に「だったらこっちにも考えがある」と考えた官邸側が一矢報いたという可能性もある。

するとおのずから「そもそも読売新聞はなぜあのような号外を出したのか」という点に話が戻って来る。仮に読売新聞が確かな取材に基づいて情報を発信したのだとすればそれを説明すれば済む話である。「我々は自信を持って報道したがその後で状況が変わった」といえばいい話なのだ。

冒頭に書いたように読売新聞はもともと政治を報道するのではなく政治を直接動かそうとしていた。ところがその読売新聞はいくつかの変化にさらされている。

  • そもそもSNSの台頭で新聞やテレビの世論に与える影響力が低下している
  • 渡辺恒雄主筆の死で政治部主導だった読売新聞社内のパワーバランスが変わりつつある
  • トランプ大統領の登場で日米関係の基礎にあった国民の信頼が揺らぎつつある

極めて同質性が高い組織が危機感と義務感を高揚させて行き近視眼に陥る状態を「ナットアイランド症候群」という。特に「自分たちは忘れ去られている」という被害者意識が大きなファクターになっていると考えられているようだ。

これまで日米同盟を主導してきた新聞社が「単なるありふれたメディアの一つ」になろうとしているという現実を読売新聞社の政治部は受け入れることができていないのかもしれない。

号外を総括しない以上山口発言も宙ぶらりんのままで語られることになり渡辺恒雄主筆死後の読売新聞の政治部が「青年将校状態」で政治記事を書き殴っている(かもしれない)という図式が作られる。

Bloombergで日本を担当しているリーディー・ガロウド氏は「だが、石破氏は歴代首相ら自民党幹部との会談後、こうした報道を明確に否定。数日経っても辞意表明はなく、あの号外は今や「コレクターズアイテム」となり、フリマアプリで3枚セットが5000円で取引された。」と皮肉たっぷりに伝えている。

未来に対する課題が山積する中で足踏みを続ける日本の状況を「回転ドア」と表現する。同じところをぐるぐると回っている。単に政治が回転ドア状態にあるだけでなく、おそらく新聞も同じところをぐるぐるとまわっているのだろう。

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