森友文書の第三回目が公開された。長年隠し続けていた「財務省の忖度」が実際に文字として記載されており話題になっている。印刷された文書に赤線が引かれ「忖度」と書かれていた。
この官僚の怯えぶりには一種の喜劇性があるのだがこの文書を引き出すために遺族は長い長い裁判を戦わなければならなかったというのもまた事実である。赤木俊夫さんが亡くなったのは2018年だそうだ。
この財務省の仕事ぶりは公務員の志願者の数に現れている。優秀な若者は官僚を目指さなくなってきているそうである。
森友文書の第三回目が公開された。その中に手書きで「忖度」と書き込まれた文書があり話題を集めている。長年財務省は安倍総理に忖度しているのではないかと言う疑いがあったわけだが、まさか本当に手書きで書かれているとは思わなかった。
この文書は2つの意味で安倍総理の失敗の結果だと言える。
安倍総理は「強い官邸主導」を掲げ2014年に幹部官僚の人事を掌握した。出世のためには官邸の顔色を伺う必要があると明確に周知されると官僚たちは短い時間のうちに官邸の顔色を伺うようになった。
さらに総理大臣の妻の安倍昭恵さんが財務省に働きかけ(その立ち位置は今も曖昧なままだ)たことが森友問題の直接の原因になっている。官邸の指示が曖昧なため安倍昭恵さんの理不尽な要望が総理大臣の意思に沿ったものなのか、あるいはそうでないのかがよくわからない。
共同通信、毎日新聞、NHKなどの記事を総合すると、財務省本部は最初から国会や特捜部の追求を警戒していた様子がうかがえる。毎日新聞は財務省が与党と緊密に連絡を取っているとする記述を紹介しており、安倍総理と夫人の枠を超えて財務省本部と与党の「口裏合わせ」が大掛かりなものになっていたことがわかる。
日本の稼ぐ力が回復しないことが明らかになるなか、安倍総理は事実上の財政ファイナンス(アベノミクス)で問題の先送りを図り、集団的自衛権の問題でトランプ政権の機嫌を取ろうとしていた。
安倍政権時代は低成長時代だったので、これらの問題はすべて冷温凍結されている状態だった。再び成長が始まったことで様々な問題が噴出しているのが「今」と言えるだろう。
そのきっかけはコロナ対応だった。2014年の人事院改革の結果、官僚たちの間に「自分たちで考えても仕方がない」という空気が蔓延する。そんなさなかにコロナ禍が起きる。官僚たちは眼の前の問題をもはや自分たちの問題とは考えない。官邸主導が空回りする中でついに安倍総理は退陣を決意した。
朝日新聞のこの記事はコロナ対応の失敗を強まる官邸主導と結びつけている。その後も混乱は続いている。ときの政権が思いつきで給付を決める。ところが官僚組織は現場からのフィードバックを与えない。結果的に実務はすべて地方自治体に丸投げになった。2025年の参議院選挙でも給付案がでているが、地方自治体は「国に給付の仕組みがあるのだから自治体にすべてを押し付けるな」特技を指している。
本来対処すべき問題に対処せず「悪夢の民主党政権」という稚拙な言い逃れで隠蔽してきたツケを自民党と国民が支払う段階に入っている。これを取ってつけたような「国家像」の提示で埋め合わせることなどとてもできそうにない。国家像を提示したところでそれは自民党の独りよがりに過ぎず、誰もそれに従うものはいない。
現在ポスト石破の争いがある。自民党の中には明確な国家像を打ち出すべきだという声があるようだ。参政党の保守シフトが念頭にあるのだろう。となると高市早苗氏のほうが有利に思える。しかし、実際には財政抑制派の小泉進次郎氏のほうがリードしているのではと囁かれている。高市氏は政調会長時代に派閥が推挙する人材を登用せず「嫌われ者になった」と言う過去がある。重鎮に何様だといわれ「政調会長でございます」とお答えしてますます怒らせてしまいました」という逸話が残っている。
おそらく次回の総裁選挙は「石破残留」か「利害調整者の選出」になり保守の期待を裏切ることになるのではないか。
次世代を目指す優秀な人達は国家公務員を目指さなくなってきている。対応を考えるように言われた有識者たちは「今の若者は成長を重視する」と指摘しているそうだ。
国家公務員の人事のあり方について話し合う政府の有識者会議「人事行政諮問会議」は人事院に提出した提言で、現状は「危機的状況」であり「今の若年層は仕事を通じて早い段階から成長できる環境があるかを重視する傾向がある」と指摘しました。
国家公務員の志願者減少 人材確保のための提言まとめる 政府の有識者会議(日テレNEWS)
トップが目指すべき国家像を語れず、灰色のものを「白」と言いくるめる組織が自分を成長させてくれるだろうなどと感じる人がいるはずもない。
こうして国の繁栄を我が事として捉える人が急激に減少する中「勇ましい国家像」を希求する声だけが独り歩きする。現在の混乱ぶりは大局を捉えることができず勇ましい軍部に引っ張られて破局した80年前とどこか重なるものがある。
