自民党は政党ではなく利益分配の共同体である。このため利益分配の構造が変わってもイデオロギーに基づいた話し合いを行うことができない。これを代替してきたのは派閥と自民党に近い田崎史郎氏のような政治ジャーナリストだった。
自民党で両院議員総会が行われた。読売テレビが「出席者は50人程度だったようだ」と伝える。自民党は参加者人数を公表していないようだが確かにNHKの記事に掲載されている写真を見ると出席者はまばらに見える。
世論調査が石破続投を求める声が大きかったため議員も距離をおいたのだとは思うのだがなぜそもそも出席者が少なかったのかについての説明はない。いずれにせよ議員たちは意思決定ができる場がありながら意思決定しないことを選んだことになる。あくまでも彼らは利益分配を受ける受益者の立場であってリーダーにはなりたくないということだ。
議員個人の考えは立場によってバラバラ。自民党には有権者に名の通った政策グループもない。特に若い世代のリーダーがおらず有権者に対する状況の説明ができない。SNSによる情報発信を強化すべきだという意見もあるそうだがそもそも情報発信をするリーダーが育っていない。
様子見議員が多く停滞しだらけきった自民党だが「一気にステージが変わった」とする報道があった。
総会の最初は様々な意見が出たそうだが議論が1時間程度経過した後で「総裁選の議論に集中すべきだ」との提起で一気に誰が総裁選の実施を決めるのかという話になったと説明されている。これを「ステージが変わった」「新大陸が見えた」と表現する参加者がいたようだ。
これと言ったアイディアも出ない停滞感の中で自民党議員たちがすがったのが過去の成功体験だった。
党内にイデオロギーの塊がないため有力者たちに名乗りを上げさせ「自民党にもいろいろな考えがあるなあ」とか「今度の新しいリーダーは期待ができそうだ」という刷新感を演出するという手法だ。
その背景で様々な裏取引が行われ「私がリーダーになったらあなたにはこういうポジションをお願いしようと思っています」という利益分配が行われてきた。
自民党議員の自己発信能力や内部状況はこれまでもこんなものだったのだろう。だがこれでは自民党全体が何を考えているのかがわからない。そこで田崎史郎氏のようなジャーナリストが「いかにも自民党全体としての考え方」があるようにテレビ用にシナリオを作ってきた。おそらく今回もこうした田崎史郎氏の「匠ぶり」は発揮されるだろう。
しかし本当に過去の成功体験が今度も成功するのだろうか?という疑問もある。
これまでの有権者は不安定な野党に任せるよりも自民党に任せたほうが安心だという気持ちを持っていた。総裁選を他人事として眺めつつ「変えない理由」を探し続けてきたのだ。今回も石破総理が小泉進次郎氏や高市早苗氏のような極端な政治家に変わってしまうことに対して「なんだか面倒だ」と感じている人は多いのかもしれない。その意味では自民党は使い古しの家電のような存在になっている。特別な機能は期待しないが、とりあえず動いていればいいやという存在。有権者は特にメンテナンスをしようとも思わない。
第二にそもそも自民党の総裁選が次の総理大臣になれるとは限らないという事情がある。自民党の総裁候補は外から協力相手を探してくる必要があり自民党内部の利益配分だけでは問題が解決しない。
協力相手というと、立憲民主党・維新・国民民主党が思い浮かぶ。しかし実際には公明党も「閣外協力のほうが旨味がある」と感じ始めているようである。
デイリー新潮が「「高市さんには総裁になってほしくない」公明党幹部が漏らした“仰天プラン”」という記事を出している。公明党は政権からの離脱を考えているようだ。
自民党と組むデメリットのほうが強くなってきている。このため国民民主党や維新のような「閣外協力」に戻したい。是々非々の関係に戻ってしまうと政策によっては自民党と協力ができず特に高市早苗氏のような人とは協力ができないというのが新潮の記事の趣旨である。
