トランプ大統領の失言が見られずしたがってアメリカのニュースにめぼしいものがない。ということで久々に国内ニュースをいくつか見てみた。このエントリーでは参議院の憲法審査会について考える。参議院の憲法審査会を立憲民主党が掌握した。
時事通信は衆参の憲法審査会を立憲民主党が掌握したと書いている。おそらく議席としては憲法改正を求める政党のほうが多く議席を獲得していると思うのだが、憲法審査会は憲法改正に消極的な政党が持っているという不可思議な状況が生まれている。
時事通信の記事を読んで「ひどいな」と思ったことがある。
自民党は予算委員長を死守したかった。さらに政治とカネの問題の議事を立憲民主党が支配するのは避けたかったようだ。萩生田光一氏の問題でも触れたが自民党は政治とカネの問題を総括したくない。安倍派を中心とした党内政局に結びついてしまうからだろう。このまま内紛を抱えながら石破総理が居座る可能性が出てきた。自民党の終わりの始まりを予期したジャーナリストは盛んに「石破総理では持たない」と世論誘導を行っている。
つまり「どうでもいい(あるいは優先順位が低い)」憲法審査会を手放したことになる。ただ「ある保守系の中堅は「支持者に怒られる。ますます離れる」と焦りの表情を浮かべた」となっている。本気で憲法改正を目指したかったわけではなく、権力を保持するためには議席が必要で、議席を確保するためには保守の票が離れるのは困るという程度の認識だったということになる。
現在の日本人は「高度経済成長」を通じて豊かになるという共通目標を維持しにくくなっている。昭和の政治意識は極めて単純だった。アメリカのマネをしていれば豊かな生活が手に入った。つまりアイデンティティなど考える必要もなかったのだ。
日本人が明確な目標を失いつつあるなか、まがい物でもいいからなにか別のアイデンティティを求める日本人も増えている。
その一つが「日本人としての誇り」だ。イミテーションダイヤなりの怪しい輝きを放っているがそもそも本物のダイヤを見たことがない人たちにはそれなりに魅力的に映るのではないか。
TBSの調査では参政党が国民民主党を引きはなし自民党についで高い支持を得たそうだ。そんな参政党の塩入清香(さや)さんが憲法審査会入りしたそうだ。
参議院の憲法審査会には立憲民主党の小西洋之さんがいる。簡単な問題を難しく語るのが得意な人だ。意外と塩入清香(さや)さんの「お気持ち」的憲法解釈を支持する人も増えるのかもしれない。個人的には一度「詩的な憲法解釈」も聞いてみたい気がする。
日本人が日本人らしさを見失えば見失うほど憲法改正は魅力的な国民のおもちゃになるだろう。日本人と言っても実にさまざまなしんじょうのひとがいるわけだから、あるはずもない「日本人らしさ」を憲法を通じて規定しようとする宗教的な試みには落とし所などないはずなのだ。ないものを探すたびにでる旅人には「もう二度と会うことはないんでしょうが、せめてご無事で」とエールを送らざるを得ない。
