日本ではTBSの報道特集でアナウンサーが政治的意見を言ったとして大騒ぎになっている。一方でアメリカでは「地上波でも政治的批評がある」とする人達がいる。ところがアメリカ合衆国でも地上波の政治的批評が難しくなっているようだ。SNSやストリーミングメディアの台頭で政治情報が溢れており、なおかつトランプ政権がメディアに対して巨額訴訟を起こしている。これらが合わさると経済的動機で政治系の言及がリスクになってしまうのである。
俳優の三田村邦彦氏が「テレビのニュース番組の司会者は思想主義を表現してはいけない」はずと言っているそうだ。引用されているのは長谷川豊氏の記事でTBSの山本アナウンサーを批判する内容になっている。
確かにNHKのニュース番組はそんな感じだったがこれを破ったのが久米宏のニュースステーションだった。ちなみに久米宏さんがルール破りをしたのは1985年(昭和60年)だそうだ。経済が極めて好調だったこともあり個人が意見を言うことが求められるようになっていた。一般の視聴者はNHKのニュースに何処か物足りなさを感じ始めていた。ただ久米宏さんはザ・ベストテン「気軽に意見が言える」環境を求めていた。
このように日本でも個人が意見を言う事を擁護する人たちがいる。そしてアメリカの事例が引き合いに出されることが多い。
アメリカ合衆国に短い期間滞在したことがある。デビッド・レターマンさんのザ・レイトショーが始まったばかりだった。個人が意見を持つことが重要視され知識マウンティングの傾向もあるアメリカで「時事ネタで笑えるかどうか」は極めて重要。意見を持っているかが問われなおかつリテラシーと言語能力も重要視される。一種の査定になっている。
アメリカに来たばかりで笑えないと「何だこんな英語もわからないのか」などと軽蔑の眼差しで見られたことを覚えている。現在ではこれが「意識高い系」に対する反発となってスウィングバックを起こしている。
今回打ち切りが決まったのはこの後継番組だ。2015年からコメディアンのコルベア氏が司会を努めているが政治批評の度合いが増えていたそうである。各メディアが2026年5月に打ち切りが決まったと伝えている。
CBSは経済的不振が続いている。さらに60ミニッツをトランプ大統領が提訴したことで巨額の和解に発展した。パラマウント社は「謝罪を意味するものではなく大統領に和解金を支払うわけではない」としているが事実上権力に屈したものと見なされているようだ。
こうした事情もありザ・レイトショーもトランプ政権の圧力に屈したのではないかと囁かれている。
しかしCNNはザ・レイトショーの視聴率や広告収入が落ちていたと指摘。広告がネットにシフトしている上に「足がはやい=鮮度が落ちやすい」時事ネタはストリーミングメディアでの資金回収が難しいようだ。
つまりそもそも政治批判ネタが経済的魅力を失っている上に巨額賠償のリスクも重なったことで撤退を余儀なくされたということになりそうだ。
- CBS is ending ‘The Late Show with Stephen Colbert’ next year(CNN)
- Inside CBS’ ‘agonizing decision’ to cancel Colbert’s top-rated late-night show(CNN)
ではなぜ政治ネタがリスク化しているのか。
トランプ大統領はエプスタイン・ファイル問題で窮地に立たされていた。陰謀論を散々煽ってきたが自分もまたその腐った社会の一部だったと報じられている。トランプ氏が煽ってきたためMAGA支持者たちは「民主党の恥部を暴くためになぜすべての情報を公開しないのだ!」とパム・ボンディ司法長官を攻撃している。
彼らは明らかにパンとサーカスを政治に求めている。
この問題を解決するためには真相を明らかにするか「別のサーカス」を始めればいい。そして別のサーカスを始めるほうが実はずっと簡単なのだ。
トランプ大統領は名誉毀損でウォール・ストリート・ジャーナルに訴えを起こしMAGAサポーターたちは再びトランプ大統領のもとに結集しているそうだ。
アメリカの地上波ジャーナリズムはもはや野獣になぶり殺しにされる奴隷のような存在に成り下がっていると言えるのかもしれない。
ここから考えるとTBSの報道特集問題はそもそも報道特集に同情的な世論が余り集まらなかった点を憂慮すべきなのだろう。すでに視聴者の支持を失っており「敵対者を探している人たち」に対して脆弱な状況になっている。
問題はこの「敵対者を探して固まりたい人たち」が一部の年代・属性にとどまるのか、あるいは広く世間一般に病巣が広がっているのかということになる。できれば日本の状況はまだそこまで悪化していないと思いたいところだが、そもそも自分と意見が異なる人に対して「個人が意見を言うべきではない」と縛り付ける隣組根性があり一度「個人が意見を言うべきではない」という風潮ができてしまうとたちまち日本中に重苦しい雰囲気が充満するのかもしれない。
