参政党がTBSの報道特集は偏向報道であると訴えた。これまでの放送内容から見れば当然の指摘だ。参政党の戦略は非常によく練られたものになっており報道特集は太刀打ちできないだろう。
リベラル左派は現在の不利な状況を踏まえた作戦の練り直しが求められる。まずは自ら新しいデジタルツールを利用しその特性を研究すべきだろう。被害者意識をつのらせて感情的に対応すればおそらく更に泥沼にハマるだろう。
今回の記事は誤解を招きそうなので当ブログのポジションを確認させていただく。
当ブログは、天賦人権は失ってはならない権利であり人権に制限が設けられるべきではないと考えている。これは当然日本で暮らす外国人にも適用されるべきだろう。ただこれは「イデオロギー」に過ぎない。つまり、ある条件元にたまたま採用されている「偏った」考え方であり未来永劫保証されたものではない。だから、民意がこれを支持しなくなれば簡単に崩壊する。
報道特集は参議院選挙に外国人問題が急浮上したことを明らかに問題視している。おそらく兵庫県知事選挙で沈黙を貫いたことで問題が多い知事が再選しその前後で複数名の死者が出たことを悔やんでいるのだろう。
ただその方法論は極めて稚拙で、却って平和運動と人権運動を危機に追い込んでいる。
外国人の扱い方は政党によって異なる。NHKが各党のポジションをまとめている。
- 自民党は労働力や投資で入ってくる外国人とはうまくやってゆきたいと考えている。地方から支持されている政党なので「外国の活力」を地方創生に活かしたいのだろう。維新も自民党と同様。
- 立憲民主党は包摂社会を前面に押し出して左派リベラルを引きつけようとしている。2024年の政策集には多文化共生社会について触れた項目がある。共産党・社民党も同じような考え方。
- 公明党は長らく外国人地方参政権を推進してきた歴史がある。公明党は平和運動と多文化共生においては左派リベラル政党に近い。
- 国民民主党は今回の参議院選挙で外国人優遇見直しを掲げていたが排外主義の指摘を受け修正した。このためNHKには「回答しない」を選択した。
- このほかに外国人受け入れに厳しい意見表明をしている政党がある。これらの政党が「排外主義」と言われることがある。
TBS報道特集はこのうち「排外主義」だけを抜き出す内容になっている。左派リベラルに共通する考え方だが天賦人権を中心に置いて「動かぬもの」としている。今天賦人権を支える土台が揺らぎつつあることに関してはまるで無関心なのだ。
ここで注目されるのはれいわ新選組と参政党の共通点だ。イデオロギー的には右と左で真逆とされるが結果的に日本人優先を訴えている。だがTBSはれいわ新選組をさほど強く批判していない。
これらの政党は「これまで顧みられなかった人たち」をターゲットにしている。自分たちが優先されたいと言う考え方はあるが言い出せない人たちにたいして「外国人」という対象物を与えていると分析することが出来る。
ところがれいわ新選組はそれほど支持を広げることが出来ていない。
参政党は党の名前が示す通り参加型の仕組みづくりが上手だった。先日東洋経済の記事をご紹介したがうっすらとした疎外感を持っている人たちの心を掴んだものと見られる。ただしこの時に「我々は虐げられている」と置いてしまうと「自分たちの立場を危険にさらしかねない」という危機意識が働く。ここをうまく「我々は本来誇り高き存在なのに誰かに権利を盗まれている」と置いてやるとれいわ新選組の失敗を回避することができる。
実はこれで成功した集団がある。それが創価学会と公明党だ。島田裕巳氏の研究によればもともと地方から出てきた人たちを組織化した信徒集団だった。だが彼らも自分たちこそが真実を知っていると考え「下層集団」という自意識を持たなかった。本来与えられるべきものが与えられていないだけで日蓮正宗の教えに従えば勝利できると訴えたのである。
このように仕組みづくりとしては極めて新興宗教に似ている。
経典は実は何でもいい。陰謀論でも鰯の頭でもデジタル仮想通貨でもなんでもいい。要諦はゲーム設計だからだ。
日本の新興宗教は階層システムを採用しているところが多い。信者は初級からはじめるが「何らかのルール」によりポイントが与えられて階層を昇ってゆく。このポイントを貯めるには課金をする必要がありこれが上納金として本部を経済的に支える仕組みになっている。
つまり承認欲求を可視化している。参政党に関してはガバナンス関係の情報が少ないが党首の神谷氏が組織づくりの天才と言われることがある。おそらく何らかの参加を促す仕組みづくりがあるのだろう。本来TBSはこのあたりをきちんと取材すべきだったのかもしれない。それが危険なものなのかそうでないのかを判断するのは視聴者だが、おそらく報道特集は視聴者を信頼できなかった。
カトリックにも経典があり献金もあるが「献金の多寡によってポイントが付く」という制度はない。神のもとに皆平等だからである。現世利益だけが新興宗教を作るわけではない。階層を通じたゲーム化が新興宗教の本質だといえる。
新興宗教と聞くと「バカにしているのでは?」と思う人がいるかも知れない。しかし、新興宗教システムはおそらく高度経済成長期の「出世ゲーム」をモチーフにしたものだろう。企業活動には営利と言う目的がある。しかし昭和の主婦などはこの構造から排除されていた。新興宗教は、この排除されている人たちに「営業目標」を与える。初級信者だった人たちは部下を持たされ集金を担当するばかりでなく「営業主任」として収益拡大を部下たちに働きかける。
その意味ではそもそも高度経済成長期の終身雇用自体が宗教的だったということなのかもしれない。人はやはり承認欲求を満たしたいと考えるものだし、承認欲求を満たすためには具体的な成果が必要だ。この初期段階の欲求が満たされて初めて自己実現欲求を満たしたいと考えるようになる。と考えると今の日本の問題は貧困ではなく「なんのために生きているのかがわからない」ということなのかもしれない。宗教はここに理由を与える。
フジテレビ問題はかつて稼げていた企業が稼げなくなるなかで出世競争が自己目的化していった問題と捉え直すことが出来た。社員たちは視聴率のために「数字を持っているタレント」の獲得競争に血道を上げることになり最終的には外の倫理観と衝突を起こした。
今回参政党は「放送法に抵触する」から規制されるべきとは言っていない。自分たちは国のために戦っているのに既得権益であるテレビが自分たちを邪魔しようとしているとしたうえで「冷静かつ客観的に」報道機関の姿勢を判断するべきと言っている。
党首の訴えを聞くと「日本人を大切にすべきだというあたり前のことがなぜ排外主義と言われるのか、冷静に考えてほしい」と言っている。
左派リベラルが自分たちは正しいことをやっているのに主張が届かないと言う意識をにじませればにじませるほど彼らの術中にハマってゆく。逆に参政党は落ち着き払った姿勢で「テレビ局」という倒すべき敵を手に入れてしまった。テレビ局は見えない視聴者と戦っているが参政党は見える支持者たちに働きかければいい。
TBSの焦りの背景には兵庫県知事選挙の失敗があるものと見られる。だがこのときの主役は少数の投稿に触発された組織化されていない人々だった。ところが今回はこれまで「地下アイドル」的に組織化されていた政党が政党要件を満たしたことでメジャーデビューしたと言う事情の違いがある。
このように冷静に分析するとTBS報道特集が戦わなければならない敵は2つあるとわかる。
1つは「何らかの成果を求める人達」をいかに惹きつけるかだ。包摂主義も多文化共生も素晴らしい。しかしこれは「マズロー5段階」の自己実現欲求に働きかけている。一方で参政党は組織化を通じて階層内の承認欲求に働きかける。
もう1つはE-E-A-Tを通じて専門家を組織することと、SNSなどを通じて普段の暮らしに浸透することである。テレビのようなマスのメディアが最も苦手としていることだ。
高度経済成長期と経済停滞期においてテレビと新聞の記者クラブシステムは極めてテレビ局に有利に働いてきた。独占的に情報を手に入れることができるばかりではなくテレビの場合は電波権益にも守られてきた。
ところが経済停滞期が終わったことでこの独占的な権益が却ってテレビ局の足かせになっている。フジテレビのように高度経済成長期のシステムから脱却できなかったところもあるし、TBSのような昭和的な保守対リベラルの構図から抜けられないところもある。テレビ局は視聴者から遠いゆえに視聴者の間に起きている根本的な価値シフトを認知することが出来ない。むしろ既得権権益として恨まれている。さらに放送法による公平・公正原則にも縛られる。
フジテレビは地方居住を巡る石破総理の発言は切り取りであると報道しているう。だがフジテレビがいくら「切り取り」であると言っても世の中にあふれる切り取りをやめさせることは出来ない。
何が真実なのかは顧みられない。むしろその場でどのようにして承認欲求を満たすのかが重要視されてしまう。そこには経済的動機を超えた強い衝動がある。
