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【危険思想?】参政党の憲法草案を読む

18〜27分

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このところ、リベラル界隈から参政党の憲法草案を危険視する投稿を見かけるようになった。テレビは選挙期間中は公平原則に縛られるため特に見解はでていないがリベラル系のテレビ局は随分と憂慮しているのではないかと思われる。

確かに危険な内容だと思うのだがこれから日本が貧しくなると仮定するとこれを受け入れる人は増えてくるのではないかとも感じる。主権とは権利であると同時に責任でもある。この責任をもう負いたくない言う人々も実は多いだろう。彼らを一概に責めるつもりにもなれない。「石をぶつける」ほど自分が立派な生き方をしているとも思わないからだ。

日本型「自由からの逃走」である。

イデオロギー不明の参政党

出自に関して様々な憶測

参政党の出自についてはさまざまな憶測がでている。そのすべてを確認することは出来ないものの確かに宗教色はあると感じる。

憲法草案を一言で言い表すならば天皇を中心とする国家体制に引き戻す内容になっている。国家神道系やその影響を受けたキリスト教系の集団などの悲願だ。現代のキリスト教は「天賦人権」を強調してきたがアメリカ合衆国でも強いアメリカへの秩序回避傾向が見られる。つまり、日本特有の現象ではないかもしれない。

とにかく「主権」が曖昧な参政党の憲法草案

憲法草案の中で参政党は「憲法を創る」と言っている。つまり創憲を考えている。現在の憲法を改正するとどうしても「あるもの」に触れなければならない。これを避けているのだろう。

参政党は天皇の記述を大幅に増やす一方で、国という天皇ではない主語も多用されている。このため、国民主権を「国主権」にするという意味なのか、それとも国家固有の国際的な権利について言っているのかは不明。

国民の権利と公益は並立するものになっており結果的に国民の権利が制限され、なおかつ権利には義務が伴うということになっており限定的人権に戻っている。

國體が旧字体で使われており天皇を頂点とする一つの「家族」を思わせる内容だ。

国民は国際自由主義の競争と財政的責任から解放される

また税は唯一の財源ではなく通貨発行益が源泉に充てられるとの記述がある。国家に認められた「通貨を発行する権利」そのものが収益を生み出すという考え方。税は唯一の財源ではないということは国家財政に対する責任を免じられるということである。

最終的な国の主権はどこにあるのだろうか、いつ記述が出てくるだろうか、と考えていたのだが、ここで草案は終わっていた。

国民が選んだ議会が最終的な権限を持つという考えはなさそうだし、「詔勅」という考え方はでてくるのだが、天皇が国会の考えを振り切って自らの意思で行動することが容認されるというわけでもなさそうだ。そもそも國體とは何でそれは誰がどのように定義するのかも書かれていない。「国」という主語はでてくるが、議会が選出する内閣が「国」を構成すると言う記述はない。

ただ「税は唯一の財源ではない」のだから国民は主権さえ売り渡してしまえば大きな軛(くびき)からは解放される。ただしその後の国家財政がどうなるかは誰にもわからない。

この曖昧さが「この憲法のキモ」なのだろう。

自由貿易・日米同盟は維持できなくなる、のだが

日本の戦後の繁栄は資本主義・自由貿易主義体制を全面的に是認するところから始まっている。またその意志を明確にするために米軍に国土の一部を明け渡している。

この考え方は自民党の悪名高い憲法草案を改良したものだ。自民党は天賦人権を否定したが(片山さつき氏の発言が有名だ)米軍の軛からの開放は謳っていなかった。そもそも自由主義はGHQから「押し付けられた」ために曖昧さが生じ記述にまとまりがなかった。

国家主権が曖昧な新しく「創られた」体制が市場から受け入れられるとは思わない。また国産主義を標榜し種子や肥料も国産でなければならないとしている。おそらく日本の食糧事情も悪化するだろう。更に外国の軍隊も駐留してはいけないのだから日米同盟は廃棄されるか大幅に変更されることになる。

だが、そもそも一億総下中流化した今の日本で「自由主義体制を是認する人」がどれくらいいるのだろうかという気もした。アメリカ合衆国が自由主義経済を降りかけており自由主義の価値はガタ落ちになっている。

新しい序列と秩序を求める人達

このところQuoraで議論をしていると日本人に特有の傾向が見えてきたと感じる。比較で物事を語る。そしてその比較は「上下」で垂直的に意識されている。こうした垂直なしに日本人は物事を見ることが出来ない。

終身雇用が失われると人々とは「自分が社会のどのへんにいるのか」が見えなくなっている。例えば自分が正社員なので非正規の人たちより上だとか、男性なので女性より上だと言えなくなっている。

実はこの文章はこの特性を考慮して書いている。

Quoraには参政党にまつわる議論が盛んに行われているのだが「リベラルや既得権益が批判するから本物なのだ」と考える人が多い。自分で論を組み立てられない人たちは他者に対する反発を得てはじめて「自分が信じていたものは間違っていなかった」と考える傾向がある。だから「こんな政党は選ぶべきでない」と書かないのである。

リベラルやテレビ局の批判は逆効果になるだけだと思う。

ただしこうした傾向はアメリカのトランプ大統領にも見られる。日本のような上下と言う考え方は希薄なのだがやはり他陣営からの反発が力になっているようだ。先日ご紹介したエプスタイン・ファイル騒動もこの反発の物語の破綻が原因になっている。

もちろん「日本人」とは乱暴な括りだ。中には西側諸国での暮らしや価値観に慣れている人たちが「なぜみな比較の中で生きているのだろうか?」と疑問を呈することがある。

序列で生きている人たちが将来に対する楽観的な展望を失うと「下を見て生きてゆこう」と考えるようになるだろう。

参政党の憲法草案は「税は唯一の財源ではない」と言っている。税や社会保障の増加に怯える人にとっては「秩序に復する代わりに国家財政を支えなくて済む」と一安心するかもしれない。

日本版自由からの逃走

そう考えてゆくと、ああこれは「自由からの逃走」なのだなと感じた。

では自由からの逃走はどのような場合に起きるのか。同じく父権が強い直系家族主義だったドイツは皇帝を中心とした国家をまとめるのだが度重なる敗戦をきっかけに「何がドイツ人なのか」がわからなくなってしまう。

そこに登場したのがナチス・ドイツだった。ナチスドイツは共産党やユダヤ人と言った敵を作りドイツ人をまとめ上げてゆく。劣位の比較者を作りそこからドイツ人を定義しようとした。だが、この考え方は次第に周辺国家と衝突するようになる。ナチスドイツの国家社会主義は公共事業の原資を「メフォ手形」という画期的な手法で捻出。しかしコレは後に破綻しハイパーインフレを引き起こしている。

実はトランプ大統領もドイツ系家庭の出身で直系家族社会の意識が反映されている。NATOのルッテ事務総長は「アメリカはNATOの父親」と表現したが、トランプ大統領の持っている価値観を正確に記述している。

日本はハイパーインフレにならない……少なくともしばらくの間は

少なくとも中流の人たちは自由主義に敗戦したのだと考えると今回の現象を破綻なくまとめることができる。では日本もドイツのように破綻するのか。

そうはならない。

日本は世界有数の債権国であり今後一世代の間は経済破綻は起こさないだろう。その意味ではデジタル円であろうが鰯(いわし)の頭であろうが何を祭り上げても構わない。

債権を取り崩している(つまり年金で自由主義の余生を過ごしている)状態なのでやがてその原資は尽きる。仮に被害を受ける人々が自主的に自由主義を放棄したのだと考えればそれはその世代の自己責任なのだと言えるかもしれない。少なくとも暫くの間は面白おかしく暮らせるだろう。

フジテレビと今の日本の共通点

成果を出せなくなった組織の末路

今回の件で「時事も扱っていてよかった」と感じた。高度経済成長期の価値観を反映したフジテレビの喩えが生きるからである。

1990年代まで一斉を風靡したフジテレビは2000年代に入ると徐々に凋落していった。テレビ局が成長していた時代には「成果主義=視聴率市場主義」で社内をまとめることが出来ていたが、成果が出なくなると序列が不明瞭化してゆく。「イケイケ」の高度経済成長期を経て失われた30年に突入したのと同じ構図だ。

ところが時代の変化を受け入れられない日枝天皇が人事権を掌握したことで悲劇が始まった。日枝天皇は業務に直接関与せず(つまり親政せず)人事権を掌握していただけだった。

この日枝体制は視聴率至上主義(楽しくなければテレビじゃない)を徐々に歪めてゆく。前回の投稿ではこれを喜び組イデオロギーと呼んだ。

どのようなタレントを呼んできたかで社内序列が決まり社員たちは容姿で選別され接待に駆り出されるようになった。フジテレビが視聴率を創ることができなくなったためにタレントが抱える視聴者に依存するようになったのだろう。

このイデオロギーは視聴者を置き去りにしており、従ってフジテレビの業績を回復することは出来なかった。とはいえ過去からのスポンサーとの結びつきが資産として残っておりしばらくは破綻もしなかった。

結果的に喜び組イデオロギーが破綻したのはスポンサーや視聴者が持っている倫理観と内部の倫理観の決定的なズレがあらわになったからだ。日枝天皇の序列に従っていた人たちは破綻してもなおそれに気がつけなかった。スポンサーが撤退しついに日枝体制は崩壊した。

日枝体制には体制協力者がいて末端被害者に将来を諦めさせる働きかけをしていた。体制協力者は敗戦を迎えると呆然と立ち尽くし「何もかもなくなってしまった」と思考停止に陥った。

ただ、破綻は突然やってきたがその間に早期退職制度などを使って逃げ切ることが出来た人もいる。

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