今日はトランプ関税と労働市場の変化についてだけ書くと宣言したのだが、フジテレビの総括番組を見たので女性蔑視発言構図だけを抜き出すことにした。
フジテレビには喜び組イデオロギーがあり男性は女性を自分たちに対する奉仕者だと位置づけている。しかし面倒なことが起きた時「これはプライベートの問題である」として女性に後処理を押し付けた。
佐々木恭子氏は東京大学を卒業した才女だが「これは何なのだろう?」と事態を総括できていない。さらに、結果的に男性の既得権を守る共犯者としてイデオロギーに加担することになった。
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この記事のまとめ
まとめると次のようになる。
- フジテレビにおける女性の価値は男をいかに喜ばせることができるかである
- 基準を設定し価値を定めるのは男性に与えられた特権でありそこに罪悪感はない
- 面倒は女性が自ら解決すべき問題であり男性は関与しない
極端な特権意識が見て取れる一方で、女性はその共犯者として存在する以外に選択肢がない。その意味は中居正広氏は単に喜び組イデオロギーの信奉者の一人であって問題の原因ではない。
さらにその総括は日本の戦後処理に似ている。
- 結果的に我々は負けた。みんな犠牲者だった。悪気はなかった。これからはすべて水に流してやり直そう。
おそらく彼らは「スポンサーに嫌われるから、今後そんな事は言ってはいけない」と学習しただけで、何がいけなかったのかは総括しないだろう。なぜ戦争に向かっていったのかを戦後の日本人が総括しなかったのと同じである。日本人は総括できない。
フジテレビの女子アナは上質なキャバ嬢
大多亮氏が女性アナウンサーの資質として挙げたもの。言われた女性アナウンサーはその場を盛り上げるのが良い女子アナなのだと理解したようだ。
重要なのは大多亮氏がその発言について一切覚えていなかったという点。全く悪意がなく当然の認識だと捉えていたのだろう。強い権利意識が蔓延していたことがわかる。組織に染み付いたイデオロギーは「普通」の価値を変えてしまうのだ。
【フジ問題検証番組】元フジ大多亮氏「女性アナは上質なキャバ嬢」発言の真意問われ…(日刊スポーツ)
ただこの発言は「では男子アナは上質なホスト」という価値観を否定するものではない。このあたりは大多亮氏に聞いてみてもいいのかもしれない。
容姿で新人を選抜
港浩一氏は新人女性を選別し(選ばれたほうは「容姿で選ばれた」と認識)「会合には必ず参加すること」「嫉妬につながるので、秘密にしなくてはいけない」と伝えていた。港浩一氏は「単なる冗談だった」と苦笑いしていた。彼にとっては当然の権利であり女性がそれに従うのは当たり前のことなのである。これもイデオロギーが「普通化」していたということを意味している。
フジ女性アナが大多亮氏の「女性アナウンサーは上質なキャバ嬢だ」発言を暴露 港浩一氏は容姿で会合メンバー選び(Encount)
私がもう無理ですと言っていれば……
当時アナウンス部長だった佐々木恭子氏は「明らかに自分の力量を超えていた」と認識があり「初動の段階で私が無理ですと言っていれば状況は変わっていたのだろうか?」と言っている。
ただ結果的に女性アナウンサーに「番組を降りなければならない」と通告したのは佐々木恭子氏だった。中居正広氏と既得権を守るための協力者になってしまったのだ。彼女はそれに気がついていないようだ。
フジ佐々木恭子アナ フジ検証番組で後悔口に「私が“もう無理です”って言っていれば違ったサポートが」(スポニチアネックス)
【フジ問題検証番組】佐々木恭子アナ、Aさん退社に感じた感情「一方相手は…これは何だろうと」(日刊スポーツ)
なぜこの構図をまとめようと思ったのか?
実はこの構図をまとめようと思ったのには理由がある。
「進む右傾化」に対抗できない人々
先日ある政党(選挙期間中なので名前は出さないが)の党首が高齢女性は子どもを産めないと指摘した。これは科学的事実であるとしたうえで「適齢女性に環境を整備する意味だった」と付け加えている。
この発言になんとなくもやもやしたものを感じた人は多かったようだ。Quoraでも議論になったのだが「では何がいけないのか」について言語化出来た人はいなかった。
この発言は「女性の価値は我々で決めます」と言っている点が重要だ。その意味では杉田水脈氏の「生産性」発言や「産む機械」発言に似ている。国民の価値は生産性(生殖能力の有無)で決まるのであってそれを決めるのは我々であると言っている。生殖能力に関心が集まりがちなのだが実はそこが重要なのではない。
他人の価値を一方的に決めたがる多数派の数による横暴
ところがこの手の発言はマジョリティである男性が好ましく感じるように設計されている。つまり多数派が少数派の上位に立てるようになっている。
この党首の発言は高齢者を貶めることによって相対的に生産年齢にある人たちの価値を高め、また女性を「産む機械」と規定できる存在としての男性の価値を相対的に高めるように巧みに設計されている。
こうした発言は実は日本固有のものはない。アメリカ合衆国でも女性の価値は子どもを生むことにしかないという発言がありそれを支持する人たちもじつは少なくないのが現状だ。
「女性にとって進学のメリットは?」保守派の米活動家が、女子高生の質問に放った答え「女性が大学に行く理由なんて…」(BuzzFeed)
ところが改めて問うてみると「なぜ他人が価値を決めてはいけないのか?」について明確に答えられる人は実はあまり多くないのではないか。
絶対的人権を理解できない日本人
日本国憲法は「その人の生き方を決めるのはその人自身である」という天賦人権という絶対的な人権の考え方が基礎になっている。これが日本人の肌感覚に合わない。
絶対的人権という価値観が浸透していないため天賦人権を使った説明を行っても「なんかよくわからないけどとにかくモヤモヤした」という感想を持つ人が多いようだ。むしろ大きな権威を示したうえで「これはXXXと言う法律や憲法に違反しているからダメなのだ」と言ってあげたほうがスッキリする。
日本人には主権者意識がない。天賦人権を含んだ戦後憲法がいきなり天から降ってきたからだろう・
この一連の考察の総括は次のようなものになる。
- 絶対的人権という考え方を持たない日本人は、今回起きている「右傾化」に抗(あらが)えないだろう
ただこれはあくまでも概念的な考察に過ぎず証明は難しい。
経営の悪化を背景に人権が重視されなくなったフジテレビは将来の日本の縮図
今回のフジテレビの事例は経営の悪化を背景にしたフジテレビという組織が
- 女性は男性に奉仕する存在でありそれは当たり前のことだ
- その価値は美しさと明るさによって決まる
- その基準は男性が決める
という「喜び組イデオロギー」を持っていたことがわかる。組織に浸透したイデオロギーは普通化・普遍化するとそこから抜け出すのは不可能になる。普段から考えておく必要があるが、おそらくそんな人は多くない。
後付で考えるならば「女性の価値は多様であり他社の決めつけは許されない」といえる。だがそれを延長して「誰も他人に価値を決められるべきでない」と堂々と主張する人はどれくらいいるだろうか。他者が決めるニーズがあって初めて商品価値があると考える人のほうが多いはずである。
内的規範を持たない人は他人から権利を奪う共犯者になってしまう
しかし実際にこのようなイデオロギーが蔓延するとその内部にいる人達はそれを空気のように感じてしまい、佐々木恭子氏のようになってしまう。佐々木氏は「考え込んでしまった」と思考停止に落ちいっており、そこから抜け出すことは出来ないだろう。
つまり決めつけられる側が決める側の共犯者になり相手の可能性を奪うことが起こる。これが佐々木さんが経験したモヤモヤの正体だ。
更に悪いことにこうしたイデオロギーの中で佐々木氏は被害女性から選択肢を奪う加害者の役割を押し付けられている。佐々木氏は渋々従ったようだが、喜んでここに加担する人も出てくるかもしれない。
既得権益を持った男性は「女は感情的で厄介な存在」と考える。女性の価値は(大多亮氏によれば)明るさで決まるのであって暗くメソメソした面倒な問題は女同士に解決させればいい。「プライベートの面倒事は女に任せておこう」ということになり、共犯者に仕立てられてしまう。
次の共犯者はあなたかもしれない
おそらく、今起きている価値のシフトが加速すれば、同じような共犯者は価値を規定される側から生まれるはずだ。共犯者たちは考える力をあらかじめ奪われており唯々諾々と強い人達が設定したルールに従わざるを得なくなってしまうのである。
フジテレビはテレビ局としては終わった。自分たちの価値がどんなものかわからないなか視聴者の顔色を伺いながら誰も代替する価値観を示してくれず右往左往することになるだろう。
