NATOはどうにかしてアメリカ合衆国を繋ぎ止めておきたい。このため、オランダ王室はトランプ大統領を王宮で接待した。ただその報道ぶりはなかなか辛辣なもの。ルッテ事務総長はアメリカにへつらっているとしており、トランプ大統領が「おのぼりさん」に見える写真を多用している。
一方これを受けた日本のマスコミも林官房長官の発言をスルーしGDP比3.5%を既定路線として扱い始めた。自民党にこれを跳ね返す力がないと見越しているのだろう。参議院選挙の争点は減税か給付かというキャンペーンの裏で将来の負担増の布石が政治とメディアの共同作業で作られつつある。
普通の政治的言論プラットフォームの乏しい日本ではこうした事情は無視されるのであろう。国民は政治家たちの舌禍事件などに夢中。「知らされないこと」「考えないこと」をあえて選んでいるのかもしれない。
出発直前にNATOの相互防衛義務に異議を唱えたトランプ大統領。一転して相互防衛義務にコミットする発言を行った。一体何があったのか。
オランダ首相から転じたルッテ事務総長はイランの軍事作戦の成果を強調するメッセージをトランプ大統領に送った。CNNによればトランプ大統領はこれを「暴露」しBBCはルッテ事務総長は痛々しいまでにトランプ大統領にへつらっているとシニカルに論評している。
結果的にはスペインを除く加盟国が将来の5%負担を受け入れた。トランプ大統領はアメリカは例外になると強調している。現在の負担率はおよそ3.5%程度のようだが削減を目指している。さらにスペインはこの目標を受け入れずNATOもこれに同意した。トランプ大統領は大きく反発しスペインと直接交渉をすると意気込んでいる。
今回の報道をざっと見ていて「みすぼらしいトランプ大統領」という印象を強く持った。なぜそう思うのか自問してみたのだが、どうやら写真の取り上げ方に工夫があるようだ。
BBCは猫背でグラスを持つトランプ大統領を取り上げ、AFPも天井を物珍しそうに見上げる「おのぼりさん」のトランプ大統領の写真などを使っている。
いつもは支持者に囲まれているトランプ大統領だが、1人になると姿勢の悪さと行儀の悪さが目立つ。
だがこれはトランプ大統領の姿勢の問題だけではないかもしれない。ヨーロッパのアメリカ合衆国に対する侮蔑の現れだ。
ヨーロッパ人にとってのアメリカは所詮「食い詰めた人たちの逃避先」である。だがお金は持っているのでそれは利用したいしそのためには最大限へつらってみせる。
今回、オランダ王室はトランプ大統領に王宮での宿泊を許した。イギリスでも王室に対する興味を示しており「この手の成金にはこれに位の接待がちょうどよろしかろう」と考えているように見えてしまう。
中央集権の伝統を持つフランスも第一期トランプ政権で軍事パレードを見せつけている。トランプ大統領は大いに羨ましがり自国でも再現してみせた。しかしそこは良くも悪くも自由な連邦国家。アメリカの軍事パレードはどこか牧歌的で悪く言えば間の抜けたものだった。このときも盛んに軍に敬礼するトランプ大統領の写真はどれも滑稽に見える。
ノーベル平和賞のような強い名誉を望みつつ、いざとなると威風堂々と振る舞えないのがトランプ大統領なのだ。立ち振舞が身についていない。
ではこの一連の対応はヨーロッパの傲慢さの裏返しなのか。必ずしもそうとは言えないのではないか。
ルッテ事務総長はロシアはNATOの1/25の経済規模しかないとしている。そんなロシアにNATOが負けるはずはないという主張。しかし、ロシアのウクライナ侵攻でヨーロッパはロシアに勝てていないのもまた事実。
ロシアに対抗するためにはアメリカにへつらいおもねって引く止めておくしかない。
エマニュエル・トッド氏のように「ヨーロッパはロシアに負けたのだ」と主張する人もいる。そこまで極端な主張を展開するのもどうかとは思うのだが、ヨーロッパの経済的凋落を認めることができていないのもまた確かである。
さて、ここまではアメリカ合衆国とヨーロッパの関係を見てきた。この問題は日本ではどのように扱われたのか。実は密かなメディアキャンペーンが始まっていると気がついた人も多いのではないだろうか。メディアは隠蔽しない。森の中に木を隠すのである。
一般に対極にあると考えられる読売新聞と朝日新聞をそれぞれ読んでみよう。
読売新聞はもともと日米同盟を浸透させるための機関紙のような役割を持っている。その論の運びは極めて緻密で見事なものだ。
NATOは5%を受け入れた。これは軍事費をアメリカ並みの3.5%にしその他にインフラを1.5%上乗せするという内容。とこのあとで「アメリカが日本に要求している3.5%にインフラが入っているのかはわからない」としている。つまり、3.5%はすでに規定路線であり「その他にも上乗せがあるかもしれませんよ」と言っている。実際に読売新聞文学を堪能したい方はぜひリンク先を読んでいただきたい。その見事さにため息が出るのではないか。
選挙への悪影響を避けるために林官房長官はアメリカから3.5%の打診があったことを否定している。読売新聞は検証責任を放棄する形で「フィナンシャル・タイムズの報道内容は判然としないが」としている。そのうえでヨーロッパに打診があったのだから日本だけが増額要求されないはずはないとの「匿名の高官」の発言を引用している。
ではこれは読売新聞独特の政治的ポジションなのだろうか。そうではない。
朝日新聞はすでに非公式で打診があったと根拠を示さずに既成事実として伝え、将来的に正式な要求に発展する可能性があると含みを残している。あくまでも検証責任は負うことなく「政府から話があればそれを伝える」と言う姿勢。
両紙とも将来の負担増を既定路線として扱いつつも自らの検証責任は果たさない。記者クラブという既得権益がビジネスの基礎にあるからだろう。だが政府の情報発信など信じていない。
自民党に打ち手がないことはおそらくメディアでは既定路線になっているものと見られる。自民党政調会長の戦略は「誤魔化して引き伸ばす」だ。もともとこのゆらぎは2015年の安倍政権下で始まっていたが、このときの議論は限定的集団的自衛権はなにかという神学論争に矮小化されており、石破政権はこの総括ができるほどの政治的基盤は持たない。安倍政権が画策した引き伸ばしは10年しか持たなかった。
メディアは今回の参議院選挙を「給付か減税かの争い」と喧伝する。しかしその裏で密かに将来の負担増についても触れ始めている。
では日本人は政治家とメディアに騙されているのか。
有権者は「今のままの日本が続く」と信じたがっており眼の前で置きている国際情勢の変化には興味を示さない。興味を示すとしてもせいぜい国際社会を巨大なムラに見立てて「どの国が勝った」とか「どの国のメンツが潰された」などとやっている。
ネットの政局報道も「あの政治家がこんな失言をした」というようなものが多い。
日本の政治報道を見ているとある特徴があることに気がつく。
人間関係の「相関図」にきわめて強い関心があり、報道内容も細かく深堀りするようなものが多い。杜の中で事実関係に埋まってしまうような印象がある。これでは変化する情勢に対応できないのではないかと思うがむしろ変化には余り興味がなく、固定したムラの人間関係がいつまでもつづくという暗黙の前提をおいているのかもしれない。
一方で国際社会は破綻寸前になっている。海外の政治家たちはあえて混乱した状況を作り出し自分たちに都合が良い状況を作り出そうとしている。結果的に不確実性が増すので、政治報道はこの不確実性の検証に当てられることが多くなったが、固定的な森に暮らす日本人は対応できない。
現時点での報道と国民の関心を見ると、国民が気がつくまでは、将来の負担増が「既定路線」として徐々に整えられてゆくことになるだろう。
小さな違いにばかりこだわり政治全般についてニュートラルに語る場を持たないのだから「騙される」のは避けようがないのかもしれない。
