ブログの記事を書く前にまずQuoraに関連記事を集めている。ここから整理してブログに整形するというのがルーチンだ。
今回の国内政治の問題をまとめていてさて困ったぞと思った。カオスなのはわかるが何がカオスなのかがわからない。とりあえずタイトルを「消費税減税と不信任案で奇妙なチキンゲーム」としたがなんかこれじゃないなあという気がした。
整理できないので先に「構造問題」についてまとめたのだがここでようやく問題の一端が見えてきた。
森山幹事長は地方に象徴される日本の不効率システムの温存のために巨額の資金を必要としている。このため消費税減税で無党派層を助けたくない。単純にその余裕がないのだ。
結果的に縮小する日本社会でどっちを救うのかというトリアージ問題になっている。そして、石破総理は不効率なシステムの温存を選択した。
これはいわばトロッコ問題だ。このままゆくと大勢が死ぬ。ポイントを切り替えれば大勢は助かるが少数が死んでしまう。自民党はポイントを切り替えないことを選んだと表現することができる。日本人にトロッコ問題を解かせると「まずトロッコを止めてはどうか」など問題を否定する人が多い。選択したくないのである。
話は消費税減税に遡る。
野党の一部が主張し自民党の中にも賛同者がいた。ところが森山幹事長が「政治生命をかけて断固反対する」と表明したことで自民党内から議論が消えたそうだ。公明党も消費税減税を掲げないことにした。連立と言う既得権維持を選んだのだろう。
TBSの政治記者によれば「給料が上がれば問題は解決する」という方向に傾きつつあるようだ。Bloombergにもこの報道をバックアップする記事が出ている。
この議論は冷静に考えるとどこか変だ。
第一に賃金上昇は生産性向上の結果であってそれ自体を目的化すべきではない。政府ももちろん生産性向上に取り組んではいる。しかし、産業構造の大胆な組み換えなどには言及しておらず、実際に生産性向上が実現し賃金が大胆に上昇したと言う話も聞かない。政府の提案をよく聞くと「産業団体に働きかける」程度の話しか出てこない。
次にTBSはプレゼンテーションの最初に街の声を拾っている。年金生活者も出てくる。年金生活者にはそもそも賃金上昇はない。
そこで、森山幹事長らは他になにかお金の使い道を想定しているのだろうと結論づけることができる。「社会保障の原資」というが彼らの考える社会保障にはおそらく二階俊博幹事長が主導した国土強靭化のような地域対策も含まれているのだろう。実際に5年で2兆5000億円の農家所得補償の原資を小泉農林水産大臣に求めている。
幹事長の仕事は全国の自民党地方組織の取りまとめだ。地方組織が勢力を維持するためには豊富な国家予算が必要である。彼らに取っては生きるか死ぬかの問題であってとても無党派層にかまっている余裕はない。社会保障を必要としているのは自民党そのものなのである。
とはいえ無党派層を放置すれば政権交代につながりかねない。そこで石破総理はコメの問題さえ解決すればすべての問題は消えてなくなるとばかりに米価対策を全面に押し出して選挙を乗り切ろうとしている。小泉コメ大臣も必死に「カルローズ米を輸入するぞ!」と口先介入を強める。とにかく選挙までの2ヶ月弱を乗り切り後の問題はその時に考えるということなのだろう。
選挙互助会する自民党が取り組むべきは、少子高齢化が進む中で地方にユニバーサルサービスを維持し続けられるのかという国家像の再検討だ。しかし自民党自体が不効率に支えられているためこうした見直しができない。
では野党はこの問題を構造的に分析できているのだろうか。
立憲民主党の野田代表は不信任決議案で国民民主党などと不毛な議論を繰り広げている。内閣不信任案を出した途端に国民民主党が裏切りかねない。国民民主党にとって野田代表の不信任決議案はかなりおいしい。なぜならば土壇場で裏切って自民党を助けることができるからだ。野田代表は「共同提案するつもりがあるのか」と他の野党を牽制している。共同提案するつもりなどあるはずもない。危機を演出し自分たちがステークスを握っていると顕示するための方便に過ぎないのだから。
野党がバラバラの状態にあるため石破総理は追い詰められずに済んでいる。野党は見せ場を作るために党首討論を6時台に持ってこようとした。当初石破総理サイドは消極的だったそうだが「今の野党なら論破できる」と考えたようで6時開催に同意したそうだ。
国家が縮小する中「誰を先に助けるのか」という議論が続く。おそらくこれが今国会が閉塞しているように見える理由だろう。
これまでは、我が国が閉塞状態にある事がわかっているからこそ政治家も有権者も構造問題を見て見ぬふりをしてきたのだろうと考えていたのだが、どうもいろいろな話を聞くと、そもそも構造について深堀りしようと考える人は少ないようだ。
新しい国家ビジョンも何も今の状況を整理しない限り先に進めないと思うのだが、そう考える人は実はそれほど多くないのかもしれない。疲れるだけの議論がいいなら「お好きにどうぞ」とは思うのだが「あれ、これはなにかおかしいのでは?」と誰も思わないものなのだろうかと感じる。
ただ選挙互助会と化した自民党も内部に断層を抱えている。保守と石破総理を代表とするリベラルが対立し夫婦別姓問題や戦後80周年の総括ができずにいる。おそらく保守もリベラルも地方と都市に考え方の違いがあるはずだ。