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日本郵政と農協はなぜ構造問題なのか


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「まずはそこから説明しないとダメなのか?」と思った。日本郵政も農協も不効率な日本を統治するための装置であり、当然のように不効率を量産するという共通点がある。

装置を部分改良しても不効率は修復できないためそもそも議論が無駄だと思うのだが、それを説明する以前にそもそも構造問題であるということも知られていないようだ。

ではそもそも日本はどんな構造に支えられた国なのか。

Quoraで最近面白おかしく書き飛ばしているのではないか?と言う指摘が入った。

無駄に思える議論が多く、政治議論をいくら重ねても問題解決ができそうにない。そこでちょっと煽り目に書くようになった所ブログの閲覧数とQuoraのフォロワーが若干増えた。

人々が冷笑的な政治議論を求めているのは間違いないだろう。

そこで冷笑的な記事と構造問題のどちらに興味があるのかを聞いてみた。

するとそもそも構造問題とは何を意味するのかわからないと言う声や酔っぱらい運転の日本郵便問題とコメの価格は関係ないだろうと言う指摘が入った。

なるほどここから説明しなければならないのかと新鮮な驚きがあった。

GHQが支配を試みた当時の日本社会は複雑なムラからなる構造だった。GHQはこれを支配するために小作農を解放し自営農家化し「協同組合化」を図る。プロパガンダのナトコ映画には農家が協力して病院を作る話が出てくる。現在の佐久総合病院の基礎は農村の女性たちが作った。

農家を貧困のままに留め置けば他のアジア各国のように赤化(社会主義化・共産主義化)することを恐れたのだろう。農村が自助・共助で自立する国家をGHQは作ろうとした。

ただ、郵便局とコメ農家がどう関係しているのかについてはわからない人が多いかもしれない。郵便ネットワークを維持するために地方の実力者に郵便局運営を任せた。これを特定郵便局制度という。明治4年に遡る古い制度なのだそうだ。日本郵政の誕生とともに廃止されたが今でも全国郵便局長会と言う組織があり自民党を支えている。

日本の国家制度は戦前の中央集権、戦中の国家社会主義体制、GHQが細分化された不効率なムラ社会を自立させようとした制度の居妙なカクテルになっている。ともに不効率を前提にした組織になっている。

羽鳥慎一のモーニングショーにおいて元JA全中の福間氏が「5次流通にはそれなりの理由がある」と言ったのは全国にあまねくコメを届けるための不効率な存在が昔は当たり前だったことを物語っているのだろう。

そもそも不効率を前提にしたシステムがそのまま温存されているのだから、IT化が進んだ現代においても不効率を再生産する装置になってしまう。そしてその頂点にはGHQと財界が保守政党をまとめて作った自由民主党がある。

Quoraで記事を書くために関連記事を検索してみた。

  • 不効率を維持するために多額国家援助が必要になっている
  • 自民党は支持基盤を確保するためにむしろ不効率を維持しようとしている
  • 経営の近代化が図られないため、組織内効率化が進んでいない
  • しかしながら高度経済成長期に溜め込んだ資金が豊富に集まってきている

郵便局からは若い人が脱げだしているそうだが自民党政権は郵政再国営化に向けて布石を打っていると言う記事などが見つかった。コメ農家にも同じ問題がある。農家はすっかり儲からない商売になってしまい後を継がせたくないという農家も多いようだ。

この豊富な資金力を背景に不効率を維持しようとするのが現在の自民党を頂点とした「日本システム」の構造であるといえる。

例えば自民党は日本郵政を支援する法案の提出を予定している。国民民主党と公明党が協力しているが日本郵政の深刻な不祥事を背景にして法案の成立は見通せない状況なのだそうだ。

もちろんこれを動態保存するために多額の税金を投入しようと考える人もいるだろうし、不効率と共倒れになるのはまっぴらごめんだという人もいるだろう。しかしそもそも構造が意識されていないため議論は混乱したものにしかならない。

日本では少子高齢化が進行しもはや「少子高齢化を前提にした国家を作らなければならないのではないか」という議論も行われている。しかし、そのためには全国津津浦浦に張り巡らされてきたコミュニティを潰して都市に集約するという国家像の大転換が必要になる。おそらく「地域を見捨てるのか!」という激しい反発にさらされるだろう。

これまでの議論を通じて、衰退する日本という問題を直視できないからこそ構造の議論を避けているのだと勝手に思い込んでいた。しかし、実際には我々の国を支える構造園ののがあまり知られていないという言う驚きがあったが、冷静になって考えてみると日本の学校は戦後史を教えないと気がついた。

なんでも聞いてみるものである。我々は実は我々自身のことをよく知らないのだ。

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