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「ヒール」玉木雄一郎代表が謝罪 彼は何を間違えたのか

10〜14分

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イケメン小泉進次郎農水大臣の誕生でヒールに転落した玉木雄一郎氏が発言を謝罪した。彼は一体何を間違えたのだろうかと考え「おそらく日本の貧困化」を読み違えたのだろうと感じた。日本は確実に貧困化しつつあるが国民の間には「中の中」か「中の下」という認識がある。立憲民主党は玉木雄一郎氏の失敗から学び政策の表現を変えている。それが生活応援である。

なお同じことをQuoraで書いたところ西日本ではそもそも本当にコメがないと言うレポートをもらった。地域格差も存在するようである。

玉木雄一郎氏が発言を謝罪した。

玉木氏は問題の本質を理解したようだ。では問題の本質とはなにか。

バブル期のサラリーマンの中にはイタリア製の高級紳士服を着ていた人たちも多かった。そして、この価値はバブルが崩壊してもなかなか転換しなかった。しかし次第に服飾にお金がかけられなくなりユニクロが浸透してゆく。2008年の業績好調を受けて2009年にはユニバレ(ユニクロを着ていることがバレてしまう)という言葉が生まれた。

しかしこのユニバレは次第に使われ方が変わってゆく。ユニクロの服を着ているのはシンプルなライフスタイルを好む賢い消費者ということになっていったのである。

コメとユニクロに一体何の関係があるのか。

農林水産省はコメの供給は安定していると言っている。

実際には少し足りないのではないかという指摘があるがコメの価格が2倍になるような深刻な不足でもなさそうだ。その証拠にコメが食べられずに飢えたという人はいないし、カリフォルニア米に人々が殺到して奪い合いの事件が起きたという話も聞かない。ガザの例でわかるように本当に物資が不足すると食料を巡った殺し合いも起こる。戦後にはヤミ米を食べずになくなった判事もいる。

江藤米と呼ばれる備蓄米は5月11日の時点で12.9%しか店頭に並んでいない。仮に決定的な不足があったなら小泉米と同じくらいのスピードで店に並んでいたはずだ。おそらく既存流通は年間計画でコメを卸しているのだろう。早場米や新米が並ぶ時期を見ながら供給を割り振っているのだ。このため備蓄米を放出するインセンティブがなかったのではないか。

にもかかわらず小泉米が出るとそれをこぞって買う人達が現れた。おそらくブランド米に手が届かないと言う人たちが相当数いたのではないかと思われる。また小泉米は流通スピードが極めて早い。6月1日までに店に並べたいというところもある。

東京都区部の物価上昇率は3.6%になった。コメの流通だけが問題だったとは説明ができない。

生鮮食品を除く食料は6.9%上昇し、前月の伸び率6.4%を上回った。5カ月連続で上昇率が拡大した。値上げのあった調理カレーのほか、鶏肉、食用油、すし(弁当)が上昇した。

東京コアCPI5月+3.6%、食品がけん引し23年1月以来の高い伸び(REUTERS)

6月の食品値上げは1932品になる。帝国データバンクは「物流費や人件費の上昇圧力も根強い」としている。

食料品の価格が値上がりする中でブランド米に手が届かない「新貧困層」が現れていると言えるのかもしれない。しかし、平成期の人々が「ユニクロしか着れない」と思いたくなかったように令和の人々も「ブランド米は買えない」とは思いたくない。

その意味では、玉木雄一郎氏の国民のみなさんが大変な思いをしているという表現は極めて的確だ。

コメが決定的に不足していないのにコメが買えない人たちがいることになる。そこで倉庫で数年かけて経済的価値をわざわざ落としたコメを安価で供出している。一種の救済米だがこれを救済米とは考えたくない。楽天市場はこの空気を敏感に感じ取り「生活応援米」という名前をつけている。

これを踏まえて、立憲民主党は給付金を困窮対策ではなく生活応援と位置づけている。応援を「おうえん」とひらがなにしているのがどこか市民運動っぽいセンスだ。プロレタリアートは漢字が読めないと彼らは思っているのかもしれない。

立憲民主党が夏の参院選で掲げる公約の原案が30日、判明した。コメ価格高騰を受け、生産体制強化や流通の透明化、備蓄米放出方法の改善などコメ政策の抜本的見直しを明記。食料品の消費税率0%も盛り込んだ。減税実施までの短期的な対策として、国民1人当たり2万円の「食卓おうえん給付金」を支給。ガソリン税の暫定税率廃止を訴えた。関係者が明らかにした。

【独自】コメ生産体制を強化、立民公約案 「食卓応援給付金」2万円(共同通信)

日本を再成長させられない安倍政権が先送りしてきた諸問題はアベノミクスの効果が出たことでいよいよ出口へと差し掛かっている。それがコストプッシュ型のインフレである。このインフレの被害は均一には広がらず旧中流層がまず痛みを感じることになりそうだ。

しかし有権者は自民党政権を責めることはなくむしろ備蓄米の放出に感謝している。

この過程で没落を意識させるような「エサ米」という言葉はバッシングを受けることになるだろう。これからは応援に値する獅子奮迅の活躍をしている国民の皆さんに送るエールなのだと表現する必要がある。一種のやさしさでありポリコレ的表現だ。

常日頃ポリティカル・コレクトネスを批判する人たちもこの日本流のポリコレを好んで受け入れいる。

こうして我々は目の前の没落を受け入れてゆくのかもしれない。治療の見込みのない痛みには鎮痛剤も必要だ。

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Comments

“「ヒール」玉木雄一郎代表が謝罪 彼は何を間違えたのか” への2件のフィードバック

  1. 細長の野望のアバター
    細長の野望

    日本または日本人は、自分が貧困であることを主張することに躊躇する傾向があるように感じます。貧困であると主張できても、どこからともなく「甘えるな」「もっと大変な人はいる」というような主張をしながらこん棒で殴ってくる人たちをSNSでは見かけることが出来ます。最近の、生活保護の基準額引き下げに関する裁判をニュースサイトで見ましたが、コメント欄が殺伐としていました。
    そういうこともあって言い換え(日本流のポリコレ)をするのでしょう。別に言い換えるのは良いのですが、言い換えてただけで問題を解決することをやめてしまうのは、本来の「ポリティカル・コレクトネス」からずれているでしょう(下請けを協力会社と言い換えていることを思い出しますね)。

    1. 芥川龍之介の蜘蛛の糸の世界ですよね。自分だけが助かるならいいが他の人も助かってしまうと自分のチャンスが損なわれるのではなどと考えてしまう。1918年の作だそうですが本質的なところはそれほど変わっていないのかも。