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玉木雄一郎代表がヒールに転落

9〜13分

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国民民主党の玉木雄一郎代表がヒールに転落し、国民民主党の支持率が落ちている。「政策はどこにいった?」と嘆く人もいるだろうが日本の政治のリアリティを観察するには良い機会だ。

日本の政治はキャラベースであり配役は相対的なものだ。

玉木雄一郎氏に人気があったのはなぜか。それは若くてイケメンでシュッとしているからである。ところがこれは「自民党のおじいさん政治家に比べて」シュッとしていると言う意味でしかなかった。イメージは「絶対的属性」ではなく「比較優位」なのだ。

ところがここに小泉進次郎氏というイケメンが出てきたことで構造が変わってしまう。小泉氏と比べると玉木氏は鮮度が落ちるということになってしまう。これが第一の要因だ。

更にメディアの期待もある。エマニュエル・トッド氏を引用するまでもなく日本は子どもが家業を継ぐべきと言う伝統があり、視聴者・有権者は「政治家の血統」に価値を見出す。できるだけ肌感覚にあったキャスティングをしたほうが「すんなりと」ドラマが作れる。そして視聴率が上がればCM枠が売れるという構造になっている。

小泉進次郎氏は改革の担い手の息子ということもあり「改革屋」を継ぐことを期待されている。

頭では政治家は政策で評価されるべきだと思いつつも「でもやっぱり」と思い込みに戻ってしまうのが日本人である。テレビはその期待に応えるべく令和版小泉劇場を整えようとする。こうした劇場化運動はほぼ自動的に進行しており合理的理性が挟まる余地はないようだ。

田崎史郎氏を積極的にスタジオに呼び「江藤拓前農水大臣は何もしなかった」などと発言させている。あまりにも露骨な進次郎びいきに司会者も「なんにもってことは…」とおずおずと発言の修正を求めたそうである。

いったんイメージが逆転すると興味深いことが起きる。

玉木雄一郎氏はこれまで改革の旗手・現役世代の解放者と見られていたため、その言動や行動(例えば不倫疑惑など)が大目に見られてきた。ところが構図が逆転し「ヒール」に転換する。すると野田佳彦・前原誠司・玉木雄一郎が小泉王子を虐めているということになった。

これでは嫉妬に狂った醜い悪役である。

YouTubeであれば「動物の餌」という強い言葉は却って共感を集めていたかもしれない。ネットの人達は強烈な言葉を好む。しかし、立場が逆転しているので「玉木雄一郎は人間が食べられるものを動物の餌という強い言葉で貶めようとしている」という印象がついている。

時事通信は表面的には客観的な情報だけを並べているように見えるのだが「最近支持率が下降気味だ」というコンテクスト外の情報を混ぜ込んでいる。

一時は野党トップだった国民民主の支持率も、最近は一部の世論調査で下降気味で、玉木氏は「小泉氏も『エサ米』という言葉を使って同じ説明をしている」と釈明に追われている。

備蓄米「家畜の餌」発言が波紋 与野党批判、国民・玉木氏釈明(時事通信)

なんとなく読み飛ばしてしまいそうな情報だがよく考えてみれば「世論調査が下降気味」という発言と「動物の餌」発言の関連は不明である。

  • 玉木氏は支持率下降に焦って強い言葉を発したのだろう
  • 玉木氏の発言は支持率低下に拍車をかけるのだろう

どちらにも取れてしまうのだ。

国民民主党を巡っては山尾志桜里氏の起用を巡って支持者の間に失望が高まっているという情報をよく目にするようになった。だが支持者たちが山尾志桜里氏の何に失望しているのかがよくわからない。

確かに文春は山尾志桜里氏の過去の不倫問題などをセンセーショナルに取り上げている。しかし玉木雄一郎氏の不倫問題は彼が改革の旗手とみなされていたときには大目に見てもらえていた。必ずしも不倫が悪いというわけではない。気にいらない人を貶めるときに誰が見ても悪い問題が利用されるだけなのだ。

「いや、そうではない」という人がいればその人達の意見は聞いてみたいものだと思う。Quoraでは須藤元気氏に失望したと言う声が上がった。イメージとしては玉木雄一郎氏は短期間で成果を上げるために知名度のある人を擁立しようとしたが結果的に「組織に馴染めない逸脱者ばかりを集めている」という印象がついているのかもしれない。須藤氏は一時れいわ新選組と近かったと言う話も聞いたことがある。参院選で山本太郎氏が支援を受けていた。

支持者たちの玉木雄一郎評は「気にいらない人間を応援する不倫男」に変質しつつあるのかもしれないし、もっと根本的な失望があるのかもしれない。いずれにせよこうした失望が言語化されることはなく「なんとなくのがっかり感」として広がってしまう。

いずれにせよ日本の政治は「キャラ」ベースで動いているようにみえる。有権者(というよりは視聴者なのかもしれないが)は政策には大した興味を持たず「キャラ」によって支持・不支持を決めている。

そしてそのキャラは絶対的なものではなく比較優位によって作られる「みずもの」なのだ。

ただ小泉進次郎氏も環境大臣時代に爽やか若大将から中身のないまぬけにキャラが変わっている。

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