少数党に転落した自民党には得意技がある。勢いの落ちた旧敵対勢力に抱きついて養分を奪う。かつて村山社会党が被害を受け、玉木国民民主党も振り回された。前原維新も教育無償化で自民党に接近し内部分裂を招いている。
ということで最新の被害者は立憲民主党ということになった。
理論立てて政策を作るのは苦手な日本人だが妨害したり相手を陥れるときには、いともやすやすと芸術的な手法を編み出す。もともとそういうことが得意な民族なのかもしれない。
まず、自民党・公明党・立憲民主党で財源論を棚上げしたままで「与野党合意」に持ち込んだ。
実質的には4年後に先送りしただけで何も決まっていないが、メディアの中には「損する人は誰だ!」とする扇情的な特集を組んだところがある。報道機関として自社の検証もまともにできずキャスターにパワハラ疑惑(重大なパワハラではないものの、不適切な言動)もあるフジテレビだ。
これで「あたかも何かが決まった」かのような印象がつく。
日本はアベノミクスの失敗によるスタグフレーション状態に陥り、なおかつトランプ関税により自動車産業の先行きも不安視されている。次世代を牽引する産業が見つからなければ分配ができなくなることは明白だが各政党とも成長戦略の策定には後ろ向きだ。
各政党党首は朝の連続ドラマにあやかろうとして「あんのないあんぱんだ」「いやいや毒が入っている」などと言っている。やなせたかしさんに失礼というものだろう。ちなみに毒とは「将来の税負担」である。成長戦略がなく経済が先細る上に社会保障を維持しようとすれば当然そうなるが国民民主党は毒入りあんぱんだと言っている。
このようになんとなくふわっと「何かが決まった感」が演出されると今度は自民党の中から「大連立を求める声」が上がった。立憲民主党に抱きつこうとしている。
これまで一部でささやかれる程度だった大連立への言及が目立ってきたのは、年金制度改革関連法案に関する修正協議がとんとん拍子に進んだためだ。22日に始まった3党協議で自民は、立民が求める底上げ策を事実上丸のみした。2029年の年金財政検証を踏まえ、制度改革の必要性を判断する方向となり、今後につながる協力関係の足掛かりができたとみる向きもある。
年金引き金「大連立」臆測 自民一部に期待、立民火消し(時事通信)
立憲民主党など日本の政党は独自の政策シンクタンクを持っていないため政策面では違いが出せない。そのために政権政党に対する批判だけで期待を維持する必要がある。なにせ消費税一つとっても党内をまとめきれていないのだ。
石破政権が単に溺れかけており立憲民主党に抱きついたのかあるいは戦略的に立憲民主党の争点を潰そうとしたのかはわからないが、結果的に立憲民主党のウリであった自民党をこてんぱんにしてくれるかもしれない政党という評価は希釈され自民党に優位な状況が生まれたことになる。
こうなると立憲民主党の中には消費税減税を推進し自民党との違いを出すべきだという人たちと自民党に協力して財政規律を維持すべきだとする人たちの路線対立が生まれ自滅はしないまでもまとまらないままで選挙を迎えることになるだろう。
それにしても非常に不思議だなと思うことがある。
もうこうなったら仮説をきちんと組み立てて経済政策を作ればいいと思うのだがなぜか日本の政党は徹底的に戦略的志向を嫌がる。合理的な説明は難しく「何らかの呪いを受けている」としか説明のしようがない。
Comments
“自民党の得意技「野党への抱きつき」 今度の被害者は立憲民主党” への2件のフィードバック
日本政治の戦略性の欠如は「現状の把握」と「理想像の設定」の不足が大きな原因だと考えています。
ビジネスにおける問題解決と同じで、そもそも「問題」とは理想と現状のギャップです。
つまり問題を解決するには、あるべき姿(理想)を設定し、現状を正確に把握することが必要です。
これらが欠けると問題解決どころか問題を認識することすらできませんし、理想に向けた戦略も立てられなくなります。
また、問題解決をせずに攻撃的な議論で選挙に勝つ成功体験や、質の悪い戦略や理想像を見せて批判される失敗体験なども、戦略性を嫌う動機づけになったのではないでしょうか。
・現状を把握できない
・あるべき理想像も設定していない
・前提(現状把握と理想像設定)が整わないから、質の悪い戦略しかできない
・現状把握できなければ、戦略どころか目先の問題解決すらできない
・頑張っても過去の政治が積み上げ続けた問題の責任を押し付けられそう
・とりあえず相手を攻撃したら支持者が喜ぶからヨシ!
このように戦略的思考を回避する流れができているのだと思います。
TBSのニュース番組で若いコメンテータが「現状の把握もしないで表面的な議論ばかりしている」と発言していて「普通にそういうことをいう世代が出てきたんだなあ」って思いました。ただQuoraで対話していると(議論まではいきませんが)感情的なフリクション(摩擦)が大きすぎて合理的な議論を難しくしているんだろうなあという気がします。自分を守りたい気持ちがあり相手を攻撃してしまうわけですがかといって解決策は提示しないしできない。自分で意見表明せず結論は相手に投げてしまうわけです。
とりあえず相手を攻撃したら支持者が喜ぶからヨシ!
というのはそのあたりに起因するんでしょうね。