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かわいいのは自分だけ 石破総理が江藤農水大臣を切り捨てる

10〜14分

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石破総理が江藤農水大臣の更迭を決めた。党首討論で批判の矢面に立ちかねない状況に追い込まれての土壇場の決断だった。石破総理の行動原理が純粋な自己保身に支えられているということがよくわかった。ただこの自己保身は結果的に石破政権にとって極めて不利な状況を生み出すだろう。

江藤農水大臣の「私はコメを買ったことがない」発言は案の定、ネット・ワイドショー・野党の反発を受けた。特に問題視されたのが「売るほどある」発言だった。売るべきコメがないことで事業が成り立たなくなっている米屋があるのだそうだ。

しかし石破総理はこの時点では「職務に邁進してもらいたい」として大臣を更迭する意向はなかったようだ。更迭が失点になることを恐れたのだろう。

事態が一変したのは野党が共同で打ち出した方針にある。野党はコメ問題で総理の認識を問い「結果次第では」農水大臣の不信任案を提出するという方針を打ち出した。少数与党状態で野党が結束すると不信任案が通ってしまう。総理が党首討論において農水大臣を庇えば庇うほど総理も「同類」と見なされる上に、不信任案が通れば野党の得点になる。

結果的に自分に火の粉が降りかかると躊躇なく江藤農水大臣の更迭を決めた。石破総理の行動原理が「自己保身」にあるということがよくわかった。

今回のコメの問題は構造問題であることがわかっている。どうやらJAは複雑化する流通に対応できないようだ。この隙間を埋めるように中間業者が増殖し狭い日本でコメを右から左に動かすだけで利潤を吸い取ってしまう構造ができている。本来の備蓄米の課題は「緊急時にコメを大量放出する」ことが目的だったが、実際に何らかのパニックが起きれば各地でコメの出し惜しみが始まることは明白だ。そもそも備蓄制度が本来の役割を果たしていない。政府は議論を「JA系にコメが集まっていないから」という理由で入札条件を厳しくしたが、最初の一ヶ月で備蓄米の10%しか届けることが出来なかった。つまり結果的にJA系に分配能力がないことを示す社会実験を行ってしまったのである。

しかしながら与野党から構造問題を指摘する声は上がらない。

自民党は集票をJAに依存しているためJA改革を打ち出すことは出来ない。

とはいえ複雑な流通経路を見直すと当然「中小零細のコメ屋をどうするのだ?」という議論が出てくる。おそらく「右から左にコメを動かすだけで儲けている」などと書けば「現場を知らないのに的外れな批判をするな」という声が出るだろう。ここで「大規模流通に集約すべきだ」と主張すると「大きなスーパーに買物に行けない高齢者を見放すのか」と批判されることになる。

ワルモノになりたくない野党もこの手の問題には手を付けたがらない。

同じような構造は年金改革問題にもある。年金改革問題では当初「サラリーマンが犠牲になる」という声が上がった。ところが自民党が改革案の骨抜きを決めると野党は一転して「氷河期世代の非正規を見捨てるのか」と大合唱を始めている。

日本は現在は過去の利潤蓄積を抱え込む「成熟した債権国」状態にある。お金がない訳ではないわけではないが収入は先細っている。このため、各地で分配を巡る争いが起きているのだ。

与党も野党も利害調整ができなくなっているという点では変わりがない。だからこそ、コメ問題のような「国民の感情に直接訴えかける」問題で点数稼ぎをしたいという事情がある。

と考えると石破総理は「JAの集票を集める」ために次の農水大臣も農水族を選ぶ可能性が高いのではないかと思う。自分が農林水産大臣のときには減反政策には好意的ではなかったという報道もあるが、それはあくまでも政権内で独自性を打ち出すための戦略であって自分が総理大臣で居続けるための戦略ではないということなのだろう。

この総理大臣の自己保身的なメンタリティは「ある構造」を作り出している。

総理大臣が選挙で勝つためには支持母体の意向に沿って働く大臣を選ぶ必要がある。しかし支持母体が政治にしがみついているのはその産業が斜陽段階に入っているからと考えることができる。限られた利益を無党派層と奪い合う構図があるため結果的に閣僚は無党派層に恨まれることになる。

これらは自動化されたプログラムのように問題を再拡大し続けている。

本稿の結論は石破総理にとって参議院選挙は極めて厳しいものになるだろうというものだがその理由は「石破総理の人格が下劣」だからではない。場当たり的なプログラミングであればあるほどプログラマーたちの隠れた意思が反映されてしまうのだ。そしてそれは無党派層をイラつかせることになり、議論をますます単純化させる。

石破総理は財政再建を優先し「消費税減税は将来世代に対する無責任だ」と主張している。しかしながら安倍政権はアベノミクスの出口を提示してこなかった。むしろ「将来世代にとって極めて無責任」な政権だった。国債の金利はじわじわと上がり始めており、今後対応を余儀なくされることになるだろう。

政治的な自由度がなくなると「関税を全面撤回させるまでは一歩も引きません」と宣言せざるを得なくなる。日本は「交渉がうまく行っていること」を示すための当て馬に過ぎなかった。ベッセント財務長官は議会対策や90カ国にも及ぶマルチ交渉に疲れ果てており、日本との交渉には参加しない意向である。日本がいくら「お土産」を差し出しても最終的なパッケージなどができる見込みはない。すでに日産が工場の撤退を検討しているが次世代の牽引産業も作られない中で最後の頼みの綱だった自動車産業・部品産業の将来も危ぶまれている。

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