2019年参議院京都選挙区で勝利した西田昌司参議院議員が「ひめゆりの塔」は歴史改竄だと主張した。その後、公明党が謝罪と撤回を申し入れたが西田氏は改めて会見を開き「自分の主張は間違っていない」と表明している。
自民党が歴史的な使命を負えつつある中で「保守」にしがみつかざるを得ない議員が増えている。
しかしこの「保守」は次第に以前の輝きを失いつつある。背景あるのは日本人の慎み深さであると考えられる。合理的判断能力がある人は「保守」に魅力を感じなくなっており社会的認知機能が衰えた人たちだけが取り残されているように思える。
西田昌司参議院議員の主張は「日本軍が沖縄を蹂躙し、アメリカ合衆国がこれを解放した」という考え方は正しくないというもの。一種の自虐史観批判だ。
公明党ははっきりと謝罪と撤回を要求しているが、石破政権はかなり苦しい立場に追い込まれている。官房長官は「沖縄の苦難の歴史を心に刻みます」と発言したものの西田氏に対してはコメントしなかった。
自民党は低成長(いわゆるデフレ)からインフレへの経済転換に失敗した。そもそもシンクタンクを持たないため予測も現状認識もできなかったのだろう。またトランプ大統領は日米同盟を軽視する発言を繰り返しており、対米関税交渉の糸口も掴めていない。
大きな情勢変化にさらされる自民党はその歴史的使命を負えつつあるが自民党は自己改革ができていない。
石破総理は自身の言葉で戦後80年を総括したいと考えているが、保守派に反発されている。時事通信の記事を読むと村山政権(総理大臣は社会党だった)の総括がトラウマになっているようである。党内議論を避けるために閣議決定は行わない方針だという。現在の党と政権の存在意義が不明瞭になっているため過去の総括もできなくなっているのだろう。
今回の石破総理に対する文春砲は「下の名前のみが仮名」だ。状況を知る関係者は誰が石破総理を背中から撃とうとしているかができているはずである。苦戦が予想される選挙を前に自民党で何かが始まったのは間違いがない。
では、この「保守派」の動きは大きなうねりになって自民党を支配するのだろうか。つまり自民党もアメリカ共和党のように過激な人たちに支配されてしまうのだろうか。
トランプ大統領のポピュリズムは自己肯定感が得られない人たちに本当はあなたたちは美しいんですよと訴えて成功した。つまり、ポピュリズムの要諦は「自己愛の刺激」だ。このためには中核に安倍晋三氏やドナルド・トランプ氏のような「自己愛の権化」が必要となる。
西田昌司氏や青山繁晴氏は十分に自己愛を刺激できていないように見える。過去に自己洗脳を通じてトラウマを補償した経験を持たないと、なかなかポピュリズムの中核になれないのだろう。
今の日本人はその意味では控えめすぎる。例えば自民党の議員たちは対米交渉担当の赤沢大臣に「決して妥協はするな」と言っている。しかし同時に「安全保障問題(具体的には日米同盟からのアメリカの撤退)を持ち出されたらそこでゲームオーバーだ」ということも理解している。
また「中国を刺激すると厄介なことになる」からという理由で尖閣諸島への接近を制限している。中国の海警局のヘリコプターが尖閣諸島を領空侵犯したとして話題になった。ところがその後の報道がない。中国側が「日本の右翼分子が中国領に侵入した」と発言したが、産経新聞を除く新聞社はこの民間機を報道しなかった。
多くの合理的な日本人は合理的な自己認識から「触らぬ神に祟りなしだ」と考えている。このため保守的な言動が見られたとしてもその矛先は国内の「左翼いじめ」にしかつながらない。勝てる相手としか戦おうとしないのだ。
むしろ現役世代の関心は「日本の政治が高齢者を優遇しすぎている」という方向に向かっている。これをうまく捉えたのが玉木雄一郎国民民主党代表だ。自民党と公明党は国民民主党に対する対抗策を打ち出せておらず「減税」についての意見が割れたままである。
ただ、玉木雄一郎氏も「美しい現役世代が醜い高齢者の犠牲になっている」という打ち出しまではしていない。肥大化した自己愛に訴えても合理的な判断能力を持っている現役世代には響かないからだろう。あくまでも控えめな彼らに国民民主党の支持を表明してくださいとお願いしても具体的な声は出てこない。
これらを総合的に判断すると、現在の保守は肥大化した自己愛の刺激に成功しておらず、なおかつ刺激できたとしてもメタ認知能力の衰えた人たちにしか響かないのだろうと予想することができる。
しかしながら、石破総理の文春砲を見ても分かる通りに、内部では何らかの動きが始まっている。今後、石破総理が経済対策で自民党の内部にいるであろう懐疑派を説得できるのか、このままゴタゴタとした状況が続くのかに注目が集まる。