赤旗苦境、10億円の寄付募る 共産機関紙「発行が危機」という共同通信の記事を見つけ、ついついQuoraに「フラグだな」という不見識な投稿をしてしまった。高齢者が多く限界集落の人口減のような感じで購読者が減っているのだ。
何のフラグが細かく書いてしまうと怒られそうなのでそれは書かないことにする。
フラグだと書いた理由は2つある。
- 自民党派閥裏金事件などの調査報道で知られる日曜版は黒字を維持するが、日刊紙は年間十数億円の赤字を出している。
- 田村智子委員長は今月24日の記者会見で、現時点で約5億円が集まったと説明。
まず赤字を垂れ流しながら何かによって補っていることになる。おそらくすでに5億円集まったという寄付が原資になっているのだろう。だがその5億円はおそらく比較的低収入で(だから共産党に希望を託す)人々の浄財なのではないかと思う。
現在共産党は活動を継続するために若者にアピールしようとしている。ところが実際にここに迷い込んだ若者たちはおそらく多額の寄付を求められることになるだろう。彼らに余裕があれば崇高な革命の理想のために身を捧げるのはアリなのかもしれない。
日本人の現役世代がいかに生活の余裕をなくしているのかがわかるグラフを見つけた。読売新聞によると大阪・関西万博に行く(時間的・経済的)余裕を持った人はほとんど(75%以上)が50代以上の中高年なのだそうである。大阪・関西万博は1970年万博の劣化版の思い出に浸るための行事になっている。
開幕の13日から24日までで、会場内に滞在した人(スタッフを含む)のデータから性別・年代別の割合を推計した。70代以上は35%、60代は22%、50代は19%と高い割合を占める一方、20代は5%、30代は6%にとどまった。男女別では男性が45%、女性が55%だった。
大阪・関西万博の来場者、7割強が50歳以上…子育て世代の呼び込みカギ(読売新聞)
いつ実現するかわからない革命のためになけなしのお金を供出させられるだけでなく時間的貢献も求められるというのは在り方としては宗教団体に近い。
最近、参議院選挙を前にして田村委員長のポスターを目にするようになった。Quoraでは画像付きで紹介したが共産党のウェブサイトで見ることもできる。「ホンモノ」とカタカナで書き「たたかう」と表記をひらけば「今風」になるのではないかという絶望的な感覚のずれと「共産党の指導層の人たちはこういうのをかっこいいと思い込んでいるんだろうなあ」という田村委員長のぱっつん髪のキメ顔が確認できる。
今回のポスターは、「500万要求対話・要求アンケート」と一体にとりくむものです。田村委員長のキリッとした表情、「ホンモノの改革」のキャッチコピーは、国民の切実な願いの実現のために、日本共産党がとことんたたかう決意をあらわしています。
「ホンモノの改革の党」(しんぶん赤旗)
日本共産党は500万人要求対話というスローガンを掲げているそうだが、一体なにが500万なのかはよくわからなかった。また要求対話というふるめかしい言葉が何を意味するのかもよくわからない。
とにかく「燃えるような熱気と活気を作り出そう」というやけに闘争的な言葉が飛び交っており、限界集落化する中で身内たちはさぞかし盛り上がっているのだろうと感じた。
500万要求対話で検索したところ支持者のブログらしきものが見つかった。要するに500万人と接触し新しい信者を獲得しようという作戦らしい。このブログは「そもそも普段からの活動を怠ってきたことの裏返しなのではないか」と批判的に書いているが囲い込みそのものは批判していない。
いずれぬせよ、うっかり「対話」に答えて住所などを渡してしまうとあまり愉快なことにはならないんだろうなあと感じるし、単なる勧誘アンケートを「対話」などとさらっと悪気なく言い換えてしまう辺りに悪質ささえ感じてしまう。
現在のSNS戦略は「信者を囲い込まず」「フォロー」を通じてインプレッションを増やしてゆくという戦略がとられるのだが、日本共産党は世論から乖離してしまったことでこの基本原則がわからなくなっているのだろうなあという気がする。
民主集中制という集団による専制独裁主義を取る日本共産党には一定の歴史的評価をして良いと思う。一般の日本人が民主主義を理解しない間(そもそも戦前には民主主義さえなかった)はある程度有効な体制だったのではないかと思う。しかしながら、長い歴史の中で国民の間に主権者意識が浸透すると、むしろ執行部の意識の方が立ち遅れてしまうことになった。しかし執行部はエリート主義に毒されており「自分達こそが真実を知っている」と信じ込んでしまっている。さらに「支援者は無条件で民主集中制を支えるべき」であり「もっと頑張って生活支援者を増やさなければならない」と号令をかけるようになると一体何のための政党なのかがわからなくなってしまう。
生活者・庶民の政党であると標榜している日本共産党だがおそらくはこうした現役世代の苦境は認識できていないのではないかと感じる。エリート主義に陥った政党の末路といえるだろう。せめて過度に信者を疲弊させることなく「ソフトランディング」を目指すべきなのではないかと感じた。