野田佳彦立憲民主党代表が時限的消費税減税を決めた。このエントリーはなぜ野田佳彦代表がポピュリストと言えるのかについて分析する。
野田佳彦氏は完全なポピュリストになりきれておらず「中途半端なポピュリスト」になれていない。ここは玉木雄一郎氏のようにわかりやすく魂を売ってしまうのも手なのかもしれない。
党内から吹き上がる時限的消費税減税要求に押される形で立憲民主党の野田佳彦代表が消費税の時限的減税を決めた。ただし1年限りの減税で「延長があっても泣きの1回」があるだけという内容。つまり1年後には大規模消費税増税が起きることになる。恒久的変化ではないため将来増税+インフレを予想した消費者は支出を防衛することになるだろう。
森山幹事長は「1年限定なら何も消費税でやらなくとも」と困惑しているが、所詮は選挙対策なので論評するのも馬鹿馬鹿しい程度のアイディアである。ただしここまで消費税減税が盛り上がる背景は自民党(石破・岸田政権)の統治の失敗の結果であろう。政治が国民生活に寄与するとは考えられていないため単純な減税論に傾いてしまうのである。世論調査は自公連立政権を支持する人が減っていることからもそれは明らかである。
国民民主党は食品だけではなく一律の消費税減税を要求している。ベクトルは真逆のように思える。しかし玉木雄一郎代表は「時限措置なので財源は必要がなく赤字国債を発行しても構わない」と言っている。野田代表は時限措置なので赤字国債を出す必要がないとしている。つまり言っていることは両者とも同じになる。
- 時限措置なので財源のことは真剣に考えなくてもよい
と言っているのだ。
そもそもなぜ「減税ブーム」が起きているのかについて改めて考えてみたい。新型コロナの回復期にウクライナの戦争が重なったことで、日本経済は停滞・安定期から再成長期に入った。しかし賃金上昇が伴わない「コストプッシュ型」のインフレになっている。
一時的な減税を正当化するためには
- 現在のインフレは調整過程にあり、やがて賃金上昇を伴うインフレに変化する
- そのままでも賃金上昇を伴うインフレになる(なる型)
- 大胆な政策転換で賃金上昇を伴うインフレにする(する型)
という見通しが必要だ。各党ともこの見通しの開示と分析を避けている。おそらくこのまま放置しても賃金上昇を伴うインフレに「なる」ことはなく「する」ための手段も持ち合わせていないということなのだろう。日本の政治はアメリカが作った繁栄を分配する形で進化しているためそもそも「する型」の執行能力はない。またトランプ政権は民主主義陣営をまとめる意欲を持たないため「なる型」の政治を行う環境にもない。
ここまで「何がポピュリズムなのか」については定義をしなかった。
しかし、ここで政治を分類することができるようになる。
- 国民に見通しを示し強い姿勢で「する型政治」にコミットする
- 見通しがないためごまかして何もしない
- 見通しがないことを隠しながら支持母体だけを逃そうとする
- 見通しがないため何もしないことを選び開き直る
- 見通しがないため議論の一部を隠し大衆迎合的な選択肢を示す
「なる型」政治が成り立たない中で、この第3類型を「ポピュリズム」と言っていることになる。
「する型政治」がないなかで野田佳彦氏にできることは「自民党よりもうまくアメリカ主導の繁栄の分配ができる」と示すことだ。しかしそもそもアメリカ合衆国がその意欲を失っている。
このため野田佳彦立憲民主党代表は党内議論をまとめられないのは自明である。
だから立憲民主党は「成長のためのソリューション」を提供できていない。このため第1類型には当てはまらない。政権を担当した経験があるため、準自民党的な第2類型政治家だった。ところが党内にいる大衆迎合的な人たちに妥協しこれを中途半端に受け入れ「ややポピュリスト化」していることになる。
ただし、玉木雄一郎氏のように完全に大衆に魂を売ることもできておらず「中途半端なポピュリスト」に終わっている。
ここで「玉木雄一郎氏はポピュリストではないのではないか」と考える人もいるだろう。確かに何らかの政策目標を掲げで「5年間で日本を成長軌道に乗せますから私に時間をください」と主張しているのであれば「第1類型」に分類しても良いと感じる。
ただ報道を探す限りでは「消費税減税は短期間措置なので(どれくらい短期間かは示していない)赤字国債で構わない」と主張しているに過ぎない。
ただしポピュリストが「悪い」とは言わない。公明党はポピュリズムに徹した政党である。厳密に言えば支持母体の創価学会信徒に説明ができる程度に政策を噛み砕くとどうしても大衆迎合的なわかりやすい政策しか残らない。
今回は「公明党は給付も減税も行う」がその理由も説明しておらず期間も示さなかった。さらに何を減税するのかについても全く示していない。とにかく「ウチはケチンボな自民党幹部とは違いますよ」と言えればいいのだ。一部では玉木雄一郎首班論が浮上しているようだが、これも権力にしがみつけるなら自民党だろうが国民民主党だろうが構わないという姿勢の表れだ。別に褒めているわけではないがイデオロギーでメシが食えるわけではないという清々しいまでの割り切りがみられる。
ここまでポピュリストについて分析したが、実際には「日本の戦後政治を支えてきた重要な前提条件」の崩れがいよいよ明らかになってきたことが問題の根幹であるということがわかる。この前提条件の崩壊から目を逸らす政治家はすべて「ポピュリスト」と呼んでもいいのかもしれない。