国会の議論は引き続き迷走している。そんななかひときわ玉木雄一郎氏の存在感が高まっている。このようなリードで始めると「このブログもついに国民民主党支持か?」と思われるかもしれない。
だが、主張したいことはそれよりも単純だ。各政治家が無意識のうちにあるマインドセットに陥いるなか、玉木雄一郎氏だけがそこから一歩離れたところにいるのだ。
石破総理の強力な物価高対策発言が波紋を広げている。予算を28日までに参議院通過させても、29日と30日はお休みになる。つまり衆議院に差し戻して採決するためには31日しか残されていない。
このために局面打開を図ったのだろうが「補正予算ありきだ」「いや補正予算は考えていない」と様々な声が出ている。
結果的に与党は28日に採決をする方向で話を進めており、立憲民主党は「いや拒否してやる」と息巻いている。
立憲民主党は有権者に刺さる政策が打ち出せておらず政治とカネの問題に頼るしかない。一部からは消費税減税を打ち出すべきだという声が出ており、小沢一郎は野田佳彦首班でなくても構わないと言い出した。政治とカネの問題はもっと審議したい。かといって日程闘争政党とも見られたくない。
石破総理が余計なことを言わなければ立憲民主党は淡々と審議を進めるしかなかったので「藪蛇だった」が立憲民主党も「責任政党の器が問われる」という不思議な事態に陥っている。
維新も「予算には賛成するが不信任案も出すかもしれない」と意味不明なうわ言を繰り返している。
これらの政党にはある特徴がある。石破総理が予算の年度内成立を目指すのは1日でも2025年度に食い込めば「失敗総理」のレッテルを貼られ石破おろしにつながりかねないからだ。立憲民主党も維新も参議院選挙にどうやったらアピールできるかばかりを考えている。つまりそれぞれの政党は印象を気にしており「私を見て!」と叫んでいるという現状。
有権者は「一体国会で何が行われているのか」はよくわからない。さらに国会議員たちは国民を意識しないままで自分たちの都合ばかりを押し付けているように見えてしまう。さらに「自分たちの声を聞いてもらえていない」という苛立ちも募っている。
そんな中、唯一国民民主党の玉木雄一郎氏だけがYouTubeで視聴者の意見を募り「自分たちの支持者は今手取りを増やしたいと思っている」と理解。対話を重ねながらメッセージを精緻化している。結果的に「手取りを増やす具体的な政策」を発表した。実際にできるのかとは思うがわかりやすいといえばわかりやすい主張だ。
玉木総理がすべての問題を解決できるとはとても思えない。政権を担ったとしてもシンクタンクがない以上は霞が関に依存した政策立案を余儀なくされるだろうし、現在の制度を維持するためには国民の負担増が必要になるかもしれない。玉木氏の現在のポジションは財源論に責任を持たない野党慣れではないかという疑念もつきまとう。
歴史的な教訓もある。有権者が単純な政策を求め始めて一つの方向に動き出したときはかなり危険な状態になっていると考えて良い。民主党が政権を取った2009年の選挙では「財源などの話」を聞いても「細かいことは後から考えればいいんだ」ということになっていた。彼らは実際にそれで失敗している。
しかしそれでも印象を気にする各政党が「私を見て!」と言っている中で、実際に有権者の一部と会話をしている政党がほとんどないというのは事実である。玉木雄一郎氏が優れているのはその単純な一点だけなのだから「他の政党も真似をしようと思えば真似ができる」はずなのだが実際には誰も実行はしていない。そして「私を見て!」といえば言うほど有権者は離れていってしまう。
ただ「支持者と対話をしている」のは国民民主党だけではない。
れいわ新選組も対話型の政党だが支持者たちに細かいことを聞いても「税は財源ではない」などという宗教めいたフレーズを繰り返すのみ。
対話の次のポイントは「支持者の周りにいる人達をどう説得できるか」であり、そのためには距離を起きつつ主張するべきところは主張するという姿勢が必要になる。
実際にQuoraでコメントを募っても「私はXX党を支持する」という人はいない。特定の政党に埋没して他の政党の主張を全く受け付けなくなる人とどこかの政党の支持者と表明して「偏った人」と見られたくない人に二極化しているようだ。
日本人は高校でディベートの訓練をやらない。このため課題に距離を起きつつ自分の主張をアピールするという訓練が行われていないのかもしれない。
Quoraでも欧米在住の人達はこの距離のとり方が非常に上手であり特に「偏った」という印象はつかない。常々これを真似してほしいものだと思っているのだが、どうもそうならない。
玉木雄一郎氏の成功の理由はおそらくそれほど複雑なものではなく、真似をしようと思えば今日からでも実施できるはずだ。だが眼の前で玉木さんのやり方を見ているはずの政治家たちも模倣ができていない。