日本の国会議員たちの政治目標は自分たちの仲間を増やし議員としての生活を保証することにありこれを「政治」と言っている。この選挙一本槍の姿勢が作られたのが平成中期である。
政治は選挙を見据えた興行であり、予算編成においては対立構造を演出しつつ「収めるところに収める」ための知恵が必要だ。
ところが実際の国民生活には閉塞感が高まっており興行とその演出には様々な無理が生じている。
新聞を読まなくなった世代は「政治はどこか崇高なものだ」と考える傾向があるが、おそらくそれは美しい幻想に過ぎない。
自民党は政治とカネの問題を反省していると見せつつそもそも何が反発されているのかがわかっていない。これがよくわかったのが「商品券石破」の功績だったのかもしれない。一
方で新人議員たちはこうした常識を持っておらずマスコミへのリークにつながったものと考えられる。今回のリークの火元は「あれってなんかおかしいよね」という新人議員たちの噂話だったようだ。
新聞世代はすでに気がついている。朝日新聞の世論調査によると自民党の体質は変えられないとする人が79%いる一方で石破総理は退陣する必要がないと声も多かったそうだ。
- どうせ自民党は変われないだろうが誰がやっても同じ何だから石破でいいんじゃないか?
ということになる。
結果的に政治家たちはこの線で予定調和的な大団円に向かうことにした。
政府は高額療養費問題の議論を凍結することによって生じる穴埋めを予備費で行う。もともと柔軟ではない単年度予算の穴埋めのために便利に用いられてきた予備費だがついに予算編成の支離滅裂さを吸収するバッファとして使われるようになってしまった。その額は105億円だそうだ。
予備費をなくせばその分の税金を国民に還元できる。減税で消費を刺激することもできたはずだ。だが政治の目的は国民生活の向上ではなく議員生活の保証だ。だから減税は行われない。
維新も支離滅裂だ。万博が失敗したときの穴埋めを政府に依存しなければならないため政府予算に反対するという選択肢hsない。一方で体制を批判して大阪で勢力を拡大してきたというDNAも残っている。
一度は前原誠司氏が政府と握った。しかし、大阪組が異議を唱えたため前原誠司氏は顔を潰されることになった。このあと前原誠司氏がブレ始めたため、今度は先手を打って吉村大阪府知事が出てきて「予算と石破総理は別」という謎の理論を展開している。
吉村知事は商品券配布は違法だといいながら「政倫審で説明すれば問題は解決するのではないか」と言い出した。
この吉村氏の説に従うならば、
- 政治家は同僚政治家に対して説明さえすれば法律違反がチャラになる
ということになる。これは我々の理解する法治国家ではない。
ただし石破総理も「道義的責任は認め誠心誠意説明を尽くす」と言っている。精神論で法律を乗り切りたいという「お気持ち優先主義」で昭和的な根性論と同根だ。石破総理は今の閉塞感は「みんなが楽しい雰囲気になっていないからだ」という精神論を振りかざしていた。おそらくこれが彼の本質なのだろう。
維新がよりももっとでたらめなのが立憲民主党である。
立憲民主党が支持を勝ち取るためには自民党に負けない予算案を作らなければならないが立憲民主党にそんな機能はない。気持ちだけで対案が作れるなら誰も苦労しない。
かつて民主党はプラトンという政策プラットフォームを持っていた。だが小沢一郎の方針で「政策より選挙だ」ということになり徐々に予算が削られていったという経緯がある。政権を取ったあとも国家戦略室が作られると自分たちの影響力が削がれると焦る人たちが「政策立案当局潰し」を画策していた。このときに攻撃対象になった戦略局には現在の国民民主党に移った古川元久氏などがいる。
平成中期に政策主義を貫いていればこんなことにはなっていなかっただろう。dが、立憲民主党は政策立案能力を完全に失っており政権批判以外に党勢拡大が行えない。
実は維新を追い詰めた結果予算が流れ「じゃあ立憲民主党さんお願いします」と言われると困ってしまうのだし政権も担えない。それよりも選挙まで「自民党なんか違うよね」という空気(立憲幹部によると「余韻」)を残したほうが得策なのである。
立民幹部は「予算案成立後に『政治とカネ』の集中審議を開く方がいい。(参院選へ)余韻を残したい」と語った。
石破首相、商品券「国民感覚と乖離」 野党、説明求め攻勢(時事通信)
国民は様々な閉塞感や違和感は抱えつつも複雑な国家戦略は立てられない。
このために期待されるのが政党の政策立案能力だ。政権を狙う政党は霞が関が機能不全に陥った場合のバックアッププランを持たなければならない。しかし、日本の政治はバブル崩壊以降党勢拡大と選挙重視という悪癖から抜け出せていない。このため選挙一本槍で政策立案が全く行われないという状況が続いている。
これが日本の閉塞感の根源にある問題なのだろう。
新聞を読まない人は「政治家はなにかとても高尚なことをやっているに違いない」と考えるのかもしれない。実際にやっていることは「こんなもの」だということだけでも知っておくとよいだろう。
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