英語をアメリカの公用語にしようという動きがあるというと「この人は何を言っているのだ?」と思われるかもしれない。アメリカと言えば英語の国と決まっているからだ。
だが英語はアメリカの公用語ではない。それどころかアメリカにもイギリスにも標準英語はない。
ただデファクトの公用語としての日本語(実は日本語が日本の公用語だと規定した法令はないそうだ)を持つ日本人からみれば「別に構わないじゃないか」と思える。
だがおそらくこれは全体主義願望の現れなのだ。
トランプ大統領が英語を公用語にする大統領令に署名するものと見られている。具
体的に何をするのかはまったくわかっていないが、スペイン語など英語以外の言語に対する連邦政府のサポートが打ち切られるのではないかと考えられているそうだ。その意味では今回の英語の公用語化は「歳出削減の一環」と考えることができる。
「大げさだ」「なにも全体主義などラベル貼りする必要はないだろう」と考える人も出てくるだろう。
しかしながらトランプ大統領はその目的を「アメリカ人の結束」としている。これをファシズモという。ファッショ=束から来ている。中央集権国家の形成が遅れた結果発展から取り残されたイタリアを強くしようという運動だ。
結束主義そのものが悪いというわけではない。実際にファシズムも最初は政治運動だったのだろう。しかしやがてこれがナチズム(これも国家社会主義という全体主義思想だ)と結びつき暴走するようになり結果的に問題視されるようになってゆく。
ヨーロッパの全体主義は戦後になって排除される側でアメリカに逃れたユダヤ系の人々によって研究された。エーリッヒ・フロムとアンナ・ハーレントが有名だ。フロムは個人の成長が阻害されると人々は権威主義に走ると主張した。ハーレントは勝ち上がった権力が「もはや自分たちには歯止めがない」と自覚したときに何が起きるかを観察している。
ハーレントは権力は人々の服従心を試すと書いているそうだ。これが今アメリカの連邦政府で起きている。トランプ政権は連邦職員に毎日業務報告を求める。「何をやったか」を報告させるわけだが従わない人をあぶり出すという意味があるものと考えられている。現在連邦政府から迫害を受けている人を狙っている国がある。それがロシアと中国だ。トランプ政権は忠誠心第一主義を訴えることで優秀な人達の頭脳流出を許している。
簡単かつ理不尽な命令を下してそれでも従うかを試しているのだ。
また「信仰局」も作られた。多様性推進を「反キリスト教的運動」と決めつけて粛清するために作られた部局である。トランプ政権に服従しない人々は「反キリスト教的」とみなされて何をされても仕方がない存在ということになりそうだ。
このようにトランプ政権には「人々を従うものと従わないものに分離したい」という欲求がある。かつてヨーロッパがユダヤ系の人々を「汚れた不純物」とみなしたようなことがアメリカでは起き始めている。そしてそれを称賛する一般の国民が大勢いるということも忘れてはならないだろう。
経済戦争で勝利したはずのアメリカで人々の間にどんな動揺が起きているのかはよくわからないが、なんとなく第二次世界大戦の前にヨーロッパの後進地域で起きたようなことが起きつつある。両海岸に対して立ち遅れている内陸部の苛立ちのようなものを感じる。国際政治学者の鈴木一人氏は「迫害(それは根拠なき被害者意識かもしれないが)」に対する復讐だというような意味のことを書いている。
英語公用語化も英語を話す人達と英語を話さない人たち(これは主に中南米系のスペイン語話者だろうが)への分断を加速するのかもしれない。非アメリカ的な人たちは迫害されるが英語話者もその流暢さによって分類されかねない。
ただしこの運動は一筋縄ではいかないだろう。
キリスト教急進派の人たちは「非キリスト教的な主張を迫害する」というところまでは一致協力できるだろうがその後はどの聖書を原本にするかで闘争を始めるはずである。標準聖書がないように標準英語も存在しないため「どの英語が正しい英語なのか」で万人闘争が起きるはずだ。
そうなる前に穏健な議会人や司法がそれをブロックしてくれることを望みたい。
だが共和党を中心にMAGAと呼ばれる人たちの勢いは増しており、最高裁の判事の中にもかなり過激な保守思想の持ち主だと疑われている人がいる。