「失われた30年」を生きてきた人には初めて見る光景ではないだろうか。コメの価格が高騰し始めた。
インフレが始まったのである。ところが日本にはシンクタンクがないため眼の前で何が起きているのかが誰にもわからない。パニックが起きるだけで有効な対策が打ち出されることはないだろう。いずれにせよ物不足に端を発する教科書的なインフレが目の前で起きている。
コメの価格が高騰し続けている。日本産のコメの価格はさほど上がっていないようで内外価格差が逆転しているそうだ。日本で不足感からくる価格の吊り上げが始まっていることがわかる。
しかし、不足感があっても「それを買えるお金がない」人が多ければ価格は吊り上がらなかったはずだ。つまり、この価格でもコメを買いたい人・買える人がいるということも意味している。コメがなければパスタでもいいやと思う人もいるだろうが、絶対コメでなければダメだという人もいるのだろう。
結果的に在来の米卸は買い負けを起こしている。前回は21万トン足りないということになっていたが今回はそれが23万トンに拡大しているそうだ。これは「誰かが隠している」わけではなく高い価格で買い取っている誰かがいることを意味していると考えるほうが自然だ。海外と日本のコメの価格には逆転現象も起きているようだ。日本のほうがコメの生活必需度が高いためにインフレ感度が高かったのだろう。
農水省の政策云々という話は抜きにして考えると次のようなことがわかる。
- そもそも潜在的に不足状態が起きており
- 南海トラフ地震のニュースなどが刺激になり
- 新規業者が入り
- なおかつ生活に余裕ができた人と出来ない人がいる中で
- 物価が上がり始めた
ことになる。
実際にスーパーのコメの価格は上がっているが、スーパーが売れないコメを置くはずはない。ただコメを買っているのはスーパーだけではない。外食産業やコンビニなどもコメを買っている。このため全体的に価格が上がり始めたのだ。
市場原理で決まるコメは政府の統制品ではない。政府ができることは次のとおりとなるだろう。
- 現在の状況をありのままに説明し、国民に現状を受け入れるように訴える
- コメを買えない低所得者に対して手当をする
- そのうえでコメの(事実上の)生産調整について早急に結論を出す。
しかしながら、そもそも日本には経済状況全体を統括する統計がない。仮にあったとしてもそれを月次でまとめて総理大臣や内閣府が発表するという慣行は存在しない。
また「これまでの農水省のやり方は間違っていなかった」とか「アベノミクスは悪くない」というような自己弁護の気持ちが極めて強く働く。裏返しとして「何か不都合が起きると誰かのせいにして解決した気分に浸りたい」という国民性もある。
何度も引き合いに出すのは恐縮だがこの自己弁護の姿勢は赤澤経済再生担当大臣のチグハグな答弁によく現れている。この人が戦略的無能なのか本当に無能なのかはよくわからないが少なくとも日本にとっては大きな災と言えるだろう。
インフレの状態という日銀総裁の認識と齟齬ない=赤沢経財相(REUTERS)
GDPギャップ足元マイナス、デフレ脱却判断できる状況でない=赤沢再生相(REUTERS)
経済的にインフレなのにそれを価値転換(GDPギャップの黒字化)につなげることが出来ていないのだから、今の政策にはなんらかの欠陥がある。とぼけた顔で「いや私、知りません」等と言われても困る。
結果的に政府は間違った認識のもとに間違った説明をしたうえで「でも上がっちまうものは仕方がないよね、なるようにしかならないよ」と逃げてしまうのである。
インフレは経済的な現象だが「なるようにしかならない」という感覚の政治家が日本という飛行機の操縦桿を握り続けて離さないというのは明らかな人災だろう。おそらく彼らは単に飛び続けることを知っているだけで曲がったり着陸したりすることは出来ないのだ。