TBSの報道特集が兵庫県知事選挙のリーク文書問題で維新の議員を取材した。片山元副知事の関与を仄めかしつつも立花孝志氏の情報発信力に期待してリークを行ったという筋立てになっている。
一方で扱われてきた内容については真偽判定を行っておらず「不倫について言及しなかった報道姿勢にも問題はあった」と認めている。
今回は報道特集が描ききれなかった問題について考える。それは匿名で誰かを誹謗中傷したくてウズウズしている人たちの問題だ。実際に彼らと対話できる機会は少なく見逃されてしまいがちな要素である。
考える切っ掛けになったのはQuoraのある質問だ。今回の処分は維新の議員に対する「いじめ」であり、有権者の知る権利を阻害するというもの。確かに有権者の知る権利は極めて重要だ。
では実際に今回の問題は「知る権利」と関係しているのだろうか。報道特集の取材は維新側の意図が何だったのかを問う内容になっている。
おそらく維新の議員たちは立花孝志氏の情報発信力に期待をしていた。と同時に自分たちが立花孝志氏に情報を流したということは否定している。仮に知る権利の補強であれば堂々と主張すべきだっただろう。
個人的な体験で恐縮だが千葉市議会議員選挙で誹謗中傷のメールを見せてもらったことがある。同じ政党のライバル関係にある候補者が「あの議員は経営能力がない」ということを証明すると言う体裁の「告発文書」だった。
地方議会レベルではこのようなことがあるのだなあ感じたが、表立って流布させると名誉毀損に問われてしまう。だからこっそりと触れ回って「人々の口の端にのぼる」ことを期待するのだろう。背景にあるのは政党内の公認争いだったようだ。
この個人的な体験からも維新の議員たちの行動にはさほど違和感を感じなかった。おそらく兵庫県だけの問題ではないと感じる。
彼ら(維新議員なのか元副知事も含めてなのかはわからないが)にとって意外だったのは立花孝志氏の情報発信力が彼らの期待以上だったということだ。ちょっとした噂レベルのボリュームではなく防災無線ばりに響き渡ることになった。
日経新聞がSNSでの情報の広がり方を研究している。自民党の支持者から流れたと思われる(SNS上にはアカウントの重なりが見られる)陰謀論を熱心に読んでいる人たちが一般市民との間の橋渡しになっている。
さらに立花孝志氏の向こうには誰かを叩きたくてウズウズしている「一般の」人達がいる。日本人は実名では政治的意見をあまり言わない。それだけに裏で何を考えているのかがよくわからないところがあり、また政治的な発言のマナーも整備されていない。中には普段抑圧されている分だけ匿名や群衆としての発言が過激になる人達もいるようだ。
維新の議員たちは「自分たちが展開できない派手な誹謗中傷」を立花孝志氏に期待したがその背景にいる「都合の良い引用で実名の個人を徹底的に叩きたがる人たち」の存在までは意図していなかったのではないか。普段も行っているであろう議員同士の足の引っ張りあいはSNSの匿名空間で想像以上に大きく響き、最終的には一人の熱心な県会議員を追い詰めてゆく。
この構造は極めて悲劇的だ。
抑圧された個人の集合が実名の個人を追い詰める。ますます実名での情報発信は行われなくなり「飼いならされない野心」が匿名空間に蓄積する。
FRIDAYは立花孝志氏の発言を分析し「元県民局長のPC公開」NHK党・立花孝志氏に透ける本心「バカな人たちをどう上手く利用するか」という記事を面白おかしく仕立てている。ネットにいる人達は情報に根拠があるかどうかをさほど重要視しない。だからこそ「出典を付けてください」という注意喚起に実効性をもたせると過激な言論を防ぐことができる。
こうした訓練を受けていない日に印象に合わせた曖昧な「エビデンス」を提供すれば一定の方向に誘導することは容易いだろう。今回の維新の不確かな情報は立花孝志氏のところで「ほぼ確実な」情報に加工され一般に流布された。
立花孝志氏にとって計算外だったのはその後の兵庫県警の異例の対応である。竹内元議員の死を受けて「エスカレートすれば警察も見過ごすわけには行かないんですよ」と注意喚起を行った。
昨年行われた県知事選に関連していろいろな出来事が起こっており、告訴、告発といった形で警察に処罰を求める動きがあるのも事実。警察としては、受理した告訴、告発事案、その他の事案も含め、迅速に捜査を行うべく、事案の内容やそれを裏付ける証拠をできる限り早期に把握し、方針を立てて順次、捜査しているところだ。引き続き、県民の負託に応えられるように、法と証拠に基づいて適切に対応して参りたい。
県警本部長「全くの事実無根、明白な虚偽」と否定 立花氏のSNS投稿巡り、異例の発言 <警察常任委員会・主なやりとり>(神戸新聞)
千葉県知事選挙が3月16日に行われるが立花孝志氏はここでも二馬力宣言を行っていた。だが現職の熊谷県知事が毅然とした対応を取ったことからいまのところ目立った動きは起きていない。立花氏は活躍の場を慎重に選んでおり撤退も早い。立花氏が生き残ってきた秘訣なのかもしれない。
冒頭のQuoraの質問について出題者と何回かやりとりをすることが出来た。
表現の自由を抑圧しているというのだから、誰か抑圧者がいることになる。出題者は「反維新勢力」が抑圧しているというのだが処分を下したのは維新である。つまり論理的に考えれば維新が反維新勢力ということになる。これについて問うたところ「とにかく知る権利の侵害である」との主張を繰り返した。
考えてみれば日本人は学校教育において個人の権利で意見を表明し周囲と議論をすり合わせるという訓練がない。こうした人が何らかの被害者意識をもっても、個人として異議申し立てをできないばかりか論理的な仮説さえ組み立てられなくなってしまう。単に「自分たちはいじめられている」という気持ちだけが募りそれを証明しようとしてしまうのかもしれない。
こうしたSNSの人たちを「バカ」と断じることは容易い。また報道特集のように無知蒙昧で有害な群衆だとみなすことも簡単なのだろう。だが、実際に対話をしてみると彼らもまた一方通行型の学校教育の被害者なのではないかと感じてしまう。彼らを批判し「リテラシーを高めるためにオールドメディアをもっと見ましょう」と言ってみたところでなんの解決にもならないと感じる。