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フジテレビの記者会見の紙と「天皇」日枝久氏

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フジテレビがリベンジのために行った記者会見は無惨な失敗に終わった。その原因として今後語られるようになるのが日枝久氏の存在だろう。もともとは家老格だったが、創業家である鹿内家からクーデターで実権を掌握した。掌握後はフジ・産経グループの経営近代化を図ったと肯定的に評価する人も多いが、中には「天皇」などと呼ぶ人もいる。

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執行部の発言などを聞く限り日枝久氏が「実権」を握っていたと考えるのは誤りのようだ。むしろ精神的支柱として機能している。

記者会見の冒頭に日枝氏が「こんなことで負けるのか」と港社長を叱責したというエピソードが取材記者から語られていた。これはスポニチの取材を踏まえての発言だ。

スポニチ本紙の取材では、23日の社員説明会の前に港、嘉納、遠藤の3氏がフジサンケイグループの日枝久代表に辞意を伝えていた。だが日枝氏は「こんなことで負けるのか、お前たちは!」などと一喝。出席していた幹部は「今回の問題を勝ち負けで考えているとは…」とあぜんとしたという。

フジ経営陣「辞意」伝えるも…日枝代表まさかの一喝「こんなことで負けるのか」 27日注目のやり直し会見(スポニチ)

スポニチは「勝ち負けの問題ではない」と唖然としたという社員の声を拾っている。しかし日枝久氏は1937年生まれの87歳だ。朝日新聞は「内圧も受けたフジ社長らの辞任 「怖くて誰も…」日枝氏の姿なく」と書いている。フジテレビ執行部は内部・外部から強いプレッシャーを受けている。にもかかわらず日枝さんの気迫に対抗できない。

日枝氏にしてみれば自分が鹿内家から簒奪したフジ・産経メディア帝国が「こんなことくらいで」壊れてしまうことに耐えられないのかもしれない。

では「こんなこと」の中身とはなにか。それは女子アナの告発によるメディア帝国の崩壊である。

男女の雇用機会が均等化され「女子総合職」が生まれたのは1986年のことである。これ以前の経営者たちは少なからず女子社員を「女の子」と考える傾向にある。実際にフジテレビの経営陣に女性幹部が登場することはなかった。仮に一人でも女性が入れば印象はかなり違っていたのではないか。

日枝久氏が「たかが画面の華(飾り物)にすぎない女子アナごときに自分の帝国を潰されてたまるか」と考えていても何ら不思議ではない。昭和では当たり前の価値観だった。

では記者会見や第三者機関が日枝久氏から本音を引き出せるか。おそらくそれは不可能だろう。

もちろん経営幹部たちが日枝久氏に力で屈服させられているとは思わない。それはスター・ウォーズのダースベーダーの世界観だ。

だが、幹部たちが絶対権力者に精神的に従属しておいたほうがラクだと考えていたとしても不思議ではない。これを示唆するような記事が東洋経済に掲載されている。他の地上波キー局が経営方針を刷新する中フジテレビだけが経営方針を出せていない。フジテレビはかつてヒット番組を生み出していたエースを社長にすれば昔の栄光を取り戻すことができるという「誰か」の思い込みが「事実上の経営方針」になっている。

記者会見では何度が「裏からの紙」が登場する。通常の番組では司会者がイヤーモニターを装着し「サブ」で発せられるプロデューサたちの指示を受けている。記者会見ではさすがにイヤモニは装着できない。代わりに誰か「プロデューサー」の指示が「サブ」から飛んでいるのだ。副調整室のある記者会見など前代未聞である。

この中でうっかりと自分の言葉で発言をしてしまった人物がいる。それが遠藤副会長だ。まず東京都とのトリエンナーレの開催は事実上難しいだろうとの見通しを示した。遠藤氏はトリエンナーレの責任者である。しかしこの発言は紙によって司会者に修正されてしまう。

また、中居正広氏と女性の間に合意があったのかについて「ここがよくわかっていない」と正直に発言してしまう。これも紙によって修正させられていた。

スポニチによると経緯は次の通り。

  • 認識の相違ではなく「意思の不一致」であると遠藤氏が確認。
  • 「意思とは同意の有無であり中居氏側は同意があったと説明したということか」と記者が問いただし、遠藤氏が「そうだ」と返事。
  • 司会の上野広報局長に職員が近づき遠藤氏に紙を渡す。
  • そして「2人だけの事案であり、プライバシーの関係からお答えできません。訂正させてください」と訂正。
  • 複数人からヤジが飛び会場が紛糾。

ここからも「本物の意思決定者」から「絶対に負けてはいけない」という精神的な枷が与えられ、その枠組でなんとか話を収めようとしているということがわかる。ここで作られたのが「所詮男女の秘め事であり当事者以外には知りようがないし知る必要もない」というストーリーなのだろう。

遠藤副会長はコンプライアンス担当の役員を務めた経験があり「それでは収まらない」と考えている可能性がある。つまりこの問題を現実的に理解できている。しかしながら「これは勝ち負けの問題である」と考える誰かが「サブ」にいて昭和的価値観からの逸脱は決して許さない。フジテレビはなんとか話を収めようと通常番組を中断してこの会見を中継したそうだが、おそらくそれは逆効果だったと言えるだろう。

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