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「これはテロではないWakeup Callだ」とラスベガス車両爆破の容疑者が主張

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アメリカで起きた「テロ」事件について書いたところ、秋葉原の無差別刺殺犯との類似性を指摘する声があった。これを読んで「なにか違うなあ」と考えたのだがうまく言語化出来なかった。その後リベルスバーガー容疑者の手記と呼ばれるものが発見され違いがわかったのでまとめておくことにする。

  • アメリカ人は「わたくし」と「おおやけ(政治・社会)」をひと続きのものとして考えるが、近年の日本人はこれを分離する。
  • アメリカ人はわたくしを主語を使うが、日本人はわたくしを隠蔽する。
  • アメリカ人は社会に対して主張するが、日本人は徹底して主張しない。

結果的にアメリカ人は政治に積極的に関与するが日本人は冷笑的になる。また社会に警鐘を鳴らすために自分の命を犠牲にしようとは考えない。ただしこれを「日本人全般」の傾向として語ることは出来ないのではないかとも感じた。

例として1970年の三島事件を挙げる。

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リベルスバーガー容疑者はラスベガスにあるトランプホテルの前でレンタルしたテスラのサイバートラックを爆破させた。爆発の前に拳銃を口に押し当てて自殺したものと見られている。一種の拡大自殺だった。

彼は手記を残しており当局が内容を発表した。

表向きはポジティブな愛国者だったが実はPTSDに苦しめられていたそうだ。勤務中に脳挫傷も経験している。

2018年から2021年にかけて同容疑者と断続的に交際していた看護師のアリシア・アリット氏(39)は、同容疑者が記憶力や集中力について悩んでいたほか、戦場での自分の行動について強い罪悪感を抱えていると認めていたと述べた。

米ラスヴェガスの車爆発、容疑者の軍人がPTSDに苦しんでいた可能性(BBC)

私生活ではクリスマスに奥さんが家を出ていったと言う情報がある。奥さんのコメントが得られていないため何があったのかはよくわからない。しかし、乳幼児を抱えた状態で不安定な夫に危機感を覚えて家を出たとしても何ら不思議ではない状況だ。

表向きは英雄であり優秀なエリート兵士として扱われていたが実はその代償は大きかった。

手記によると、こうした混乱を背景に自分は偉大なアメリカのために戦ってきたのにこの国は堕落していると考えるようになった。結果的にアメリカにはWakeup Call(警鐘)が必要と考えるようになってゆく。Wakeup Callは派手であればあるほど良いということになりトランプ次期大統領への恨みはないもののトランプホテルに向かい派手な爆発を起こした。

一種の拡大自殺だがその拡大自殺に「社会的な意味」をもたせようとしたことがわかる。自分の人生に大きな意味をもたせようとしたということだ。

ニュー・オーリンズの事件も概ね似たような展開になっている。唯一の違いはシャムスド・ディン・ジャバー容疑者が頼ったのがイスラム教だったという点だ。ISISに傾倒していったためイスラム教に対する蔑視感情があるアメリカでは「テロ」と認定しやすいという特徴がある。

イアン・ブレマー氏は今回の2つの事件について「表面的なリンク」はないが、通底する事情には共通点があるかもしれないと分析している。イアン・ブレマー氏は動機と社会の反応を分けて分析している。

両者とも私生活の行き詰まりを抱えていた。しかし両者とも社会に対する強い打ち出しを行っており「間違った世の中を正すためには自分が犠牲にならなければならない」という強い(そして歪んだ)殉教者精神を持つに至った。

では秋葉原で事件を起こした加藤智大(執行済)はどうだったのか。

週刊誌では親との緊張関係が語られ派遣切りについても報道された。しかし、彼はこれを「社会が間違っている」と捉えることはなかった。彼が動機としてあげているのは「掲示板での扱い」に対する復讐だった。掲示板にいる人たちに対してなにか大きなことをして見せたいという動機だ。

安倍総理を殺害した山上徹也(未だに容疑者扱いがつづいているそうだが)も宗教問題に進展することは想定していないと言い続けている。

このように日本人は「わたくし」と「おおやけ」の間に断層があり決して社会に対する打ち出しを強調することはない。また山上徹也容疑者の裁判がまだ始まっていないことから、社会の側も「わたくし」が起こした事件が政治的に影響力を持つことを極めて深く懸念していることがわかる。

アメリカ人は家庭でも学校でも「自分をきちんと説明する」ことを求められる社会だ。一方で日本では「黙っていること」を教え込まれる。スーパー、電車・バス、レストランでは「他人に迷惑をかけてはいけない」と教え込まれ、学校でも黙って先生の言うことを聞くのが「良い子」ということになっている。徹底的に社会に迷惑をかけないことを強要される。

日本人は「私はもう限界だ」と訴えることはない。代わりに「このままでは社会はもっと大変なことになるだろう」と知らずしらずのうちに主語を置き換えて隠蔽してしまう。

また「私はこう思う」ということも禁止されており、代わりに「偏りのない事実」と断定口調になる人もいる。これは心のなかで「ああ、あなたはこう思っているんですね」と置き換えるしかない。

このため政治参加意欲も極めて低く冷笑的だ。「私一人が投票しても社会がどうなるものでもない」と考えるのが日本人である。社会に対する無力感を感じる人もいれば、選挙制度を破壊する立花孝志のような人に期待する人も出てくる。

日本社会では「一人ひとりがコミュニティを再建すべきだ」と主張するのはほぼ自殺行為といえる。「私が参加しなければならない」という義務意識を感じてしまうため参加意識がわかりやすくしぼんでしまう。Quoraのコミュニティ管理の経験上「対話を続けたいならば「あなた」という主語は徹底して避けるべき」と学んだ。「あなた」は実質的にはAccusationであり「私」を突きつけられた人は対話しなくなる。代わりに「みんなそう思っていますよね」というのがコツ。これは合理的というよりは日本人の第二の本能と言っても良い。

ただし「日本人が最初からそうだった」というつもりもない。

また戦後にも1970年に三島由紀夫事件が起きている。高度経済成長期を堕落と考えた三島由紀夫は自衛隊市ヶ谷駐屯地でアジテーション演説を行い割腹自殺を遂げた。背景には作家としての行き詰まりがあったとも指摘されているが自意識としては「社会に対する抗議」としての殉教であり、主語には「男一匹である私」が使われている。おそらく三島の失敗は「諸君=あなたがた一人ひとり」に語りかけたことだったのだろう。聞いていた人たちは三島の訴えに冷笑で返している。

おまえら、聞け。静かにせい。静かにせい。話を聞け。男一匹が命をかけて諸君に訴えているんだぞ。いいか。それがだ、今、日本人がだ、ここでもって立ち上がらねば、自衛隊が立ち上がらなきゃ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君は永久にだね、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ。諸君と日本……アメリカからしか来ないんだ。シビリアン・コントロールといって……シビリアン・コントロール……んだ。シビリアン・コントロールというのはだな、新憲法の下でこらえるのがシビリアン・コントロールじゃないぞ。そこでだ、おれは4年待ったんだ。自衛隊が立ち上がる日を。……4年待ったんだ、……最後の30分に……待っているんだよ。諸君は武士だろう。武士ならば自分を否定する憲法をどうして守るんだ。どうして自分を否定する憲法のために、自分らを否定する憲法にぺこぺこするんだ。これがある限り、諸君たちは永久に救われんのだぞ。

三島事件(Wikipedia)

今回アメリカで起きた事件はどちらかと言えば三島事件に似ている。私生活と政治・社会が陸続きになっており私が最大限のものを賭ければもしかすると社会が変わるかもしれないという見込みのようなものがある。アメリカ合衆国では経済成長が起きており高度経済成長期の日本も同じ状況にあった。

しかしながら日本の社会システムは徐々に複雑化して行く。また失われた30年を通じて個人が社会に何らかの影響力を与えることができるという見込みは失われ続けており、最終的には「自ら考えること」さえも禁止してしまった。これは日本において中間層が政治的に完全に没落しただけではなく社会を変える意思・意欲・見込みをリーダーがいなくなってしまったことも意味している。

このように考えると、今回アメリカで起きたようなことが日本で起きるとは考えにくいという結論が得られる。

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Comments

“「これはテロではないWakeup Callだ」とラスベガス車両爆破の容疑者が主張” への4件のフィードバック

  1. 匿名を希望のアバター
    匿名を希望

    確かに言われてみれば日本だと政治的な動機でテロや無差別殺人を行った件はほぼ無いですね。
    あっても近いものなら右派なら浅沼稲次郎暗殺事件、左派なら三菱重工爆破事件、
    カルトなら地下鉄サリン事件ぐらいでしょうか(ただしこの件は動機が逆恨み寄りですが)。
    結局日本人は津山三十人殺しの様に憎悪でしかこう言う行動を起こせないんでしょうか、
    動機が自分をないがしろにした者達への復讐だと言った感じで。
    それすら押さえつけたら行きつく先はもう自殺しかないと言う絶望以外何もないですから
    自殺か拡大自殺をするしかないってのが日本の現状なんでしょうね。

    1. ああ、なるほど。確かにオウム真理教は政党を作って選挙にも出ていましたもんね。選挙カーと像さん軍団を見たことがあります。政治という意識はあったんでしょうね。ただ「集団」として政治意識はあったとしても「個人」としての麻原彰晃さんは捜査当局から隠れてその後も何も話さなくなってしまったと記憶しています。じっくり考えると興味を惹くテーマなのかも……

  2. 匿名を希望のアバター
    匿名を希望

    あと便乗みたいな形ですいませんが、これより前の関連記事の養老孟司氏が言ってた結論に関してなんですが、
    同じ様な事を古谷経衡氏が自身の著書である「シニア右翼」にて述べておりました。
    それは災害ではなく戦争での話なんですが、国土が全てを焼き払われるような状況にでもならないと
    変われないし古い保守的なものが残ってしまったら何かをきっかけに揺り戻しが起きてしまうと言った感じでした。
    勿論本人は本土もそうなれば良かったと思ってる訳ではないと付け加えていましたが。

    1. 養老・田原会談の後半は田原さんが「逃げるな」と養老さんに迫ったみたいですね。なんかしんどくなって見ませんでしたが……