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SNSの台頭で愉快犯的な選挙への介入が容易に

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西田亮介日大教授の分析を時事通信が「SNS影響、単純化に懸念 背景にメディア不信―ネットと選挙・日大教授」として紹介している。重要な指摘が凝縮された内容で読み応えがあるが、今回は次の項目について考察したい。

また、候補者本人や陣営側ではなく、動画を撮影、公開するユーチューバーらに収益が入る構造になっていることに注目。「他者の収益化」を可能にするプラットフォームにより、「経済的インセンティブが選挙結果をゆがめかねない状況だが、対策はとても難しい」と懸念を示した。

SNS影響、単純化に懸念 背景にメディア不信―ネットと選挙・日大教授(時事通信)
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文春オンラインにSNS切り抜き職人の中には500万円稼いだ猛者もいるという記事が出て話題になったことがある。またBBCは「怒りを煽る炎上手法が人々を惹き付けビジネスになる」と分析していた。SNSが一般に浸透するなかで第三者が政治や選挙に介入することがビジネスになりつつあるという分析はもはや西田教授だけのものではない。

さらに情報の単純化にも懸念がある。

当ブログでは国民民主党の「手取りアップ」について当初から観察してきた。Quoraでの議論を見ると途中から参加した人たちが断片的に情報を理解しておりそれぞれの中で解釈がばらばらになっていることがわかる。

ある人は学生や主婦パートの問題と捉え別の人はバラマキと考える。さらに別の人は手取りアップが自民党に邪魔された問題と理解している。それぞれ内容を精査することはなく断片的な情報から物語を読み取り「私はこうあるべきと思う」との見解を披瀝している。

政治が好きな人ほど自分の「お気に入り」の解決策を持っている。結果的に複雑な議論に対してはさほど関心を持たずあとから説明を加えても全く聞き入れてもらえない。

議論の経緯に関心を持つ人は少なく「コスパ・タイパよく」状況判断したい人が多いため、結果的に複雑さは排除され情報は単純化される傾向がある。

今日は小野寺五典政調会長の議論が「国民」を「納税者・非納税者」に分断する様子を観察した。結果的に人々の印象に残ったのはひろゆきさんの「日本は働いたら負けでした」という極めて単純化されたメッセージだ。

ただおそらくこのメッセージも人によって解釈の仕方が様々だろう。その意味では情報広場の中で人々は自らが作り上げた独房に進んで入っている状態といえる。

自民党は「政治とカネ」の問題の解決に失敗した。支出不明瞭なが不完全情報ゲームになっているため相手を出し抜いた人のほうがトクをする構造になっている。このため政治はお金のかかるゲームになってしまった。完全情報に近づけば政治にかかるお金の流れは適正化してゆくだろうが、市場のない状態から市場を作るのは極めて困難。

SNS議論はこうした複雑な問題は扱えないため「だったら誰も儲からないようにしてしまえばいいのだ」という単純化が起こり縛りあいゲームが展開する。もともと日本人はこうした縛りあいゲームが大好きという傾向もあるために、おそらく誰にもカネを使わせないという誰にとってもトクにならない不毛なゲームが進行するだろう。

ところが西田教授が主張するように規制の外に「第三者」が介入できる余地が生まれてしまった。つまり外に市場ができてしまっておりなおかつ「対策が難しい」のが現状だ。

さらに国民民主党の事例からは複雑さを排除して単純化したうえで対立構造を作ったほうが大きく反響するということもわかった。つまり市場がない荒れた状態ででは荒れた状態に適応した人のほうが生き残りやすくなってしまう。

国民民主党が提起した103万円の壁問題は地方に対する税収分配と社会保障の問題を含んでいるために議論が錯綜しやすい。これを防ぐためにはまず目的を決めたうえでそれをブレイクダウンしていかなければならない。

ところが自民党はこれを「リクツの問題」と考えており(SNS人気の国民民主に反論 「税は理屈の世界」と自民・宮沢税調会長:毎日新聞)、国民民主党は「とにかくSNSでウケた議論を展開してゆこう」とばかりに荒くれ者の論理で考えるため議論はますます錯綜する。錯綜すればするほど単純化が起こり決まるものも決まらなくなってしまう。

結果的に現在の政治議論は政策決定の透明化(野田佳彦氏に言わせれば「熟議」)どころか複雑な情報汚染を起こしているに過ぎない。こうした複雑な状況は第三者からの介入を招きやすくなる。日本ではあまり問題になっていないが海外では外国からの選挙介入も盛んに行われている。Xの所有者であるイーロン・マスク氏はドイツの政治状況に介入しておりSNSによる「選挙介入の抑止」は期待できないだろう。

仮に第三者の愉快犯的な選挙介入を「悪」と考えるならば、複雑化した政治議論の健全化こそが急務だ。だが今の政治家にそのような意欲があるとはとても思えない。

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