小野寺五典自民党政調会長の無神経な発言に批判が高まっている。SNS利用に長けた玉木雄一郎氏は「マリー・アントワネットみたいだ」とキャッチーな批判を展開し格の違いを見せつけた。
小野寺発言は苦労を重ねる現代の学生とその家族の気持ちに寄り添っておらず批判されて当然だろう。玉木氏は現在の日本の普通の家族が置かれた環境をよく理解しているということがよく分かる。
Xで情報を取っている人たちにが理解できるのはおそらくここまでだ。当然、当ブログでこの議論を扱うからにはそれなりの奥行きと展開がある。ただしそれを読み込むためにはそれなりの時間が必要になるだろう。それを概要に書かないあたりに底意地の悪さを感じていただけると幸いである。
いいねに使っていたWP-ULikeに脆弱性が見つかりましたので利用を停止しました。ご迷惑をおかけします。
SNSでのハレーションに対して小野寺五典氏は次のように反論している。彼がSNSをよく知らないということがよく分かる。
自民党はこれまでも場当たり的な「支援」を繰り返してきた。だが賃金は上がらず昼間勉強する学生の55%が奨学金に依存しているという調査も出ている。「支援が必要だと言うならゴタゴタ言ってないでさっさとやりなさいよ」というのが国民の声だろう。
一方で玉木雄一郎氏はSNSの使い方を熟知している。現在の生活実感に寄り添った発言となっているばかりか「まるでマリー・アントワネット」と付け加えている。スポーツ紙が使いやすい見出しまで提供しているのだ。
玉木雄一郎氏はサービス精神に溢れた政治家だ。
大学を卒業しなければ正規雇用が難しい。ここで脱落すれば一生年収200万円という暮らしも予想されるだろう。だから借金を背負ってでも大学卒業の学位があったほうがいいと考えるのは極めて一般的な常識である。こうした常識を「わかりやすく」「キャッチーに」伝えたほうがSNSでの共感を得やすい。小野寺VS玉木の議論では「誰でも玉木氏を応援したくなる」はずだ。
今後も玉木雄一郎氏と国民民主党の躍進に期待したい。
スッキリした議論を求めている人はここまでで戻るボタンを押してもらって構わないと思う。当然話には続きがあるが、ここからは「スッキリしない」パートだ。
実は自民・公明・維新の間で教育無償化に向けた新しい議論が始まった。実は小野寺五典氏は自民党側の取りまとめ責任者になっている。
会談後、自民の小野寺五典政調会長は記者団に「教育無償化をどう実現するのか、実務者で議論していく」と述べた。
教育無償化、19日に実務者協議 自公維(時事通信)
一方、玉木雄一郎氏は大学無償化に反対の立場なのだ。
仮に小野寺五典氏が大学無償化に「乗った」と考えてみよう。ポジションが逆転することに気がつくだろう。玉木雄一郎氏は東大卒のエリートで庶民のことを考えていない。一方の小野寺五典氏は苦学して東京水産大学を卒業し宮城県庁に入った叩き上げということになってしまう。
ただし、実際の議論はもっと複雑だ。
- 日本の家庭は全体的に没落し師弟に対する教育投資が難しくなりつつある。
- 少子高齢化時代に備えて専門学校が「大学化」している。文部科学省はL型・G型を区別したり大学院教育の充実を提案したりしている。つまりかつてのエリート養成校だった大学を取り戻すことで日本の成長力をあげようとしている。
- にもかかわらず企業も家庭にも「大学信仰」があり経済力に見合わない学校への進学を希望する。
- とはいえ大学を出たからと言って大学卒にふさわしい待遇が得られる補償もない。企業の海外流出と東京一極集中が進んでいる。
玉木氏の主張は「2」の改善を訴えるものなのだが極めてわかりにく行くSNS受けしない。
なぜこのようなチグハグな議論が横行するのか。
政党間の枠組みが
- 自民党・公明党・維新(教育無償化)
- 自民党・公明党・国民民主(税制と社会保障)
- 自民党・公明党・立憲民主(政治とカネ)
に分かれており、なおかつ
- 党首
- 幹事長
- 税制調査会
- 政策調査会
のそれぞれのレイヤーで別々の議論をしているからだ。
統一の枠組みがないためそもそも議論がまとまりようがない。そもそも戦後すぐに立ち上がった終身雇用モデルの形骸化という背景がある。新しいモデルの提示が必要である。
ところが議論はさらに複雑だ。「もう疲れた」という人はここで脱落してもらって構わない。おそらくこれらのレイヤーをすべて一回の議論で理解するのは不可能だと思う。
これに加えて財源の議論が出てくる。
前回、奈良県の杜撰な公共事業の事例をReHacQsを教材にして勉強した。日本の地方財政は地方交付税交付金依存になっていて「都市の金」を横流ししている。地方自治体は稼ぐ心配をしなくなりいい加減な事業計画が横行している。更に厄介なことに高齢者に「こんな夢が見られますよ」と宣伝しているため山下知事が事業を中止すると「話が違う」ということになってしまう。
地方の立場で考えると「誰だって夢は見たい」ものだ。夢を見ることを責めるつもりはない。ただ、その様子は薬物中毒に似ている。「夢」というクスリが切れるときが最もキツイのだ。
自民党だけでなく立憲民主党の議員の中にも「都市の犠牲のもとに地方財政を維持する」という考えている人がいるようだ。米山隆一氏は元新潟県知事。
おそらく「大学無償化」の話が出てきたとしても「財源はどうするんだ?」議論が出てくるだろう。
経済のパイが広がらない中で、地方にこのまま「夢が見られる支援」を続けるか、あるいは現役世代の負担を減らしつつ未来への投資に回すかという議論になる。年配の人は当然自民党か立憲民主党を支援するだろうし、現役世代は国民民主党と維新を支持するだろう。
日本には国を成長させるグランドデザインがない。結果的になんの像も結ばないなかで個別具体的な「論争」ばかりが先行することになりSNSでは「あいつが気に入らない」というような議論ばかりが目立つことになる。
政治はこれらの議論を整理したうえで国民に選択肢を提示しなければならないのだが日本の政党はそもそも現状把握もできていないので選択肢の提示など夢のまた夢と言った状態である。