無知蒙昧な庶民たちはシステムの犠牲になっているが自分たちが犠牲になっていることに気が付かない。そんなとき社会の選良は身を捨ててでも庶民たちを目覚めさせるべきではないか!
仮にこう主張したら皆さんはどう思うだろうか。
アメリカ合衆国でそのような事件がおきた。ニューヨーク市警察は彼が殉教者になりかねないと警鐘を鳴らしている。
アメリカでユナイテッドへするケアのCEOが射殺された。容疑者は26歳の青年だった。裕福な家庭に生まれ名門ペンシルヴェニア大学で工学のマスター課程を卒業している。
容疑者はマニフェストを持っていたとされる。当初「医療保険に私憤を持っていて復讐しようとしたのだろう」などと思っていたのだがマニフェストの内容は想像を超える深刻さだったようだ。
NYPDのレポートをABCが「UnitedHealthcare CEO shooting suspect inspired by Unabomber: NYPD analysis」として報道している。
容疑者の名前はルイジ・マンジョーネ。年齢は26歳。裕福な家庭に生まれ名門大学で工学のマスターを持っている。アメリカ合衆国の学費は高騰を続けており経済的なバックグラウンドがなければ大学で高学歴を得ることは難しい。
NYPDは彼のSNSの書き込みとマニフェストなどを解析したレポートを出した。ユナボマーと呼ばれるテッド・カジンスキー(セオドア・カジンスキー)に触発され「殉教者」になる可能性が高いとしている。
カジンスキー氏の「思想」は企業の不正行為に対する注意を喚起するためには一方的な行動も必要というもの。つまり暴力も肯定されるという一種のテロ思想だ。マンジョーネ容疑者のソーシャルメディアのプロフィールにも技術の進歩が社会に害を及ぼすと懸念する部分があるのだという。
こうした「テロリスト」的要素を持つ人のプロフィールは陰謀論めいたSNSなどから見つかることが多い。また家庭環境に問題があり拡大自殺(自分だけでは死にきれないので社会を巻き添えにする)ようなケースも目立つ。中にはISなどの「本物のテロリスト」の呼びかけに応じたものもある。こうした破綻した背景を持つ人達を「テロリスト」とみなすのは簡単だ。
しかしながらマンジョーネ容疑者が使っていたSNSは書籍の紹介サイト(グッドリード)であり、破綻・破滅型の容疑者とは一線を画している。
その一方で薬莢に「本のタイトルを思わせるような文字が刻印されていた」とか「3Dプリンターで銃を作った」とか「モノポリーのお金」をバックパックに忍ばせていたというような異常性を思わせるものもある。容疑者が見つかったのはマクドナルドだったそうだが「どこか怪しげな様子で食事をしていた」ことで従業員に警戒され警察に通報されている。
マンジョーネ容疑者は何らかの理由でヘルスケア業界が社会の寄生虫であると考えるようになっていったようだ。様々な「エビデンス」を集め確信を強めてゆく。
NYPDのレポートはこうしたマンジョーネ容疑者の「思想」が大きな影響を与えかねないと危惧している。つまり社会が彼を支持すれば本当に彼は殉教者になってしまう。
実際にREUTERSが「アングル:米で「医療保険への不満」噴出、大手CEO射殺受け」で報道しているようにアメリカのSNSでは医療保険への敵意が噴出している。
これまでも医療保険に関する不満はあったのだろう。しかし医療保険に不満を感じるのは実際に支払いを拒否されたあとだ。経験は個人的なものとされ社会に共有されてこなかった。今回の事件がきっかけになり「問題を抱えていたのは自分たちだけではなかった」とわかり社会に大きな波紋が広がっている。
ではアメリカの政治はこれをどう受け止めるだろうか。
オバマ・バイデン両政権は低所得者向けの医療制度を整えようと努力しているがその努力は十分なものではなかった。本音では医療保険業界を守りつつ中所得者・低所得者の票をつなぎとめる弥縫策という側面がある。共和党にはその弥縫策を取りまとめる意欲すらなくオバマケアの廃止法案を作り最高裁判所に差し止められている。
次の医療行政のトップは非科学的な陰謀論を唱えるロバート・F・ケネディJr氏だ。ノーベル賞授賞者たちからは「トップを変えるように」との請願が出されている。
日本でも選挙の前後に陰謀論めいた主張や明らかに虚偽と思える主張が飛び交うことがある。中にはお金儲けを目的とした切り抜きもあるそうだ。こうした事象を紹介するたびに「そんな事はあってはならない」というコメントをもらう。
しかし病的なSNS状況を改善するためにはそもそも政治が態度を改め「政治とカネ」の問題を解決し「丁寧な説明」という嘘に依存することをやめなければならない。
日本ではまだ選挙に影響がでる程度で収まっているがアメリカではすでに陰謀論者が医療分野や安全保障分野のトップになるところまで状態が悪化している。だがそれが底辺ではない。ついに「社会問題の解決のためにはエリート(選良)が身を捨てた問題提起をしなければならない」というところまで状況が悪化しているのだ。