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なぜ党首討論は止めたほうがいいのか

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今日は「なぜ党首討論はやめたほうがいいのか」について考える。討論は2つの選択肢を示してどちらがよいのかを決めてもらうために行われる。国政では、現在2つの選択肢が提示されている。

  • アメリカの戦略にフリーライドする(TPP/防衛)か、中国人の金持ちを捕まえてきて日本に金を落としてもらう「成長」戦略
  • 国債を発行して子供や未来に投資することで数十年かけて活力を取り戻す戦略

どちらかの戦略をとれば別の作戦は成り立たない場合議論が成立する。だが、双方に問題があるので議論にならなかった。

安倍首相側の問題

安倍首相側には決定的な問題がある。それは「そもそも安倍さんが誰か」という話である。安倍首相はあるときは行政府の長であるといい、あるときは政党の代表者として振舞う。カジノ法案が安倍首相の強力な意思のもとで決められつつあるのは間違いがないが、あくまでも議員立法の体裁をとっている。つまり、議論の一方の当事者がプレゼンを拒否している。これは安倍さんが国民を説得する自信がないからだろう。安倍首相にはリーダーシップが欠如している。
次の問題は安倍首相が「どちらもやらないとは言っていない」ことだ。実際には惨めなほどの投資しかしていないが、子供に金を使わないとは言っていない。働き方改革も女性の地位向上も同じような感じである。取捨選択がないので、プレゼンをする必要がない。これも意思決定をして優先順位をつけないという意味でリーダーシップの欠如と言える。
最後の問題はリスクについて語らないという点だ。決めなければならないのはいいこともあれば悪いこともあるからだ。悪いことなんか想定しないといういことであれば、別に話し合うことなどないのである。リスクはあるがともにがんばってゆこうと国民を説得するのもリーダーシップだが、安部さんにはそれがない。そういう経験をしてこなかったのだろう。

蓮舫代表の問題

もちろん蓮舫代表にも問題がある。最初の問題は選択肢を示していないという点だ。本来なら「自民党の提案はこういうものだが、こういう問題があるので、別のアプローチを取る必要がある」としなければならないのだが、それがいえない。なぜかといえば「決めることを恐れているから」である。自民党も民進党も官僚のアイディアをもらっているだけなので本質的な違いが出せないという事情があるものと思われる。
しかし、蓮舫代表には価値観を決めて、とにかく自民党に反対するというアプローチをとることができる。いわば共産党方式である。共産党は「平和の党」なので、第九条の精神に反することについて延々と反対していればよいのだ。だが、これもできない。党内にさまざまな価値観を抱えているからだ。蓮舫さんは決められない人だ。決めてしまえば党が分裂してしまうからである。
与野党ともに「決められない」人が代表を勤めている。これは個人の資質の問題ではないのだろう。そもそも日本人は「決める人」が権限を握ることを嫌うのである。
最後の問題は蓮舫代表のせいとばかりはいいきれない。アメリカの場合、自治体ごとに違いが出せるので地方の成功例を国政に持ち込むことができる。だが日本には地方に与野党対立がない上に、独自政策が打ち出せない。そこで野党は建設的な実験が行えない。決めることもできないし、成果も出せないのだから、野党は本質的に与党の誹謗中傷しかできないということになる。

国民の問題

今日になって党首討論の評論が出てきているが「安倍首相はうそつき」とか「蓮舫代表は二重国籍問題はどうしたのだ」程度のものしか出てこない。国民は政策選択などありえないし、物事は裏で決まるのだろうと考えているので、そもそも党首討論には期待していない。代わりに少年ジャンプのような「対決もの」を読みたがっていることがわかる。
そもそも日本人はリスクを嫌うので、選択には興味がない。何も支払わないで利益だけを得たいと考え、そうでなければ何もしないのが日本人である。
そもそも受け手がプレゼンテーションを受けるつもりがないのだから、政策選択は成り立たない。いくつかの要素が絡み合い、議論の土台を崩している。要素をまとめると次のようになる。

  • リーダーシップをとりたくない。決めると責任を取らなければならなくなる。
  • そもそも足元がバラバラで決められる立場にない。
  • 選択に興味がない。おいしいところだけつまみたい。

党首討論にこれ以外の理由があるとしたら「イギリスでやっていてかっこいいから」という意味づけができるわけだが、そもそも、議論そのものがかっこよくない(子供のけんかのようにしか見えなかった)のでこれも成り立たない。
以上の理由から選択は成り立たず、議論は時間の無駄なのだ。

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