ドナルド・トランプ前アメリカ大統領が銃撃された。SNSのXはその後騒然としすぐさま様々な陰謀論が飛び交った。中でも顕著だったのが「トランプ氏は神に守られている」とか「彼は持っている」との声だった。報道写真が完璧だったこともあり彼の神格化は進むだろう。
ではトランプ氏は「持っている男なのか」ということになるが、おそらくこれは悲劇の始まりだろうと思う。彼は今後「神話の世界」を生きることになるが、そんな神話に耐えられる「人」はない。
神話の世界を生きる人間の悲劇はギリシャ神話が好んで取り上げたテーマである。人は神として生きることはできないので運命に引き裂かれるか飲み込まれてしまう。ただ今回の神格化は周りを大いに巻き込むかもしれない。
トランプ氏は銃撃を受けたあとで耳から血を流して立ち上がり拳を振りかざしてみせた。背景には青い空と星条旗が掲げられており完璧な写真構図を構成している。この写真はピューツア賞を受賞したカメラマンの作品だということがわかっているそうだ。短い時間に構図を取り完璧な「三分割法」で写真を撮影した。職業訓練の賜物だ。
「暴力に屈せずディープステートと戦う男」のあまりにも出来すぎたイメージは今後彼を語るうえで欠かせない歴史的史料になるだろう。テレビ各局が中継を出しておりこの写真がフェイクでないことは明らかだが、仮にこの写真だけ提示されていれば「作りもの」と判断されたかもしれない。
多くの人が指摘するようにこの神格化は共和党のキャンペーンには間違いなくプラスに作用するだろう。
だがここでふと考えた。トランプ氏はこのあとどのような形でラリーを行うのかという問題だ。
「人間トランプ氏」におそらくオープンスペースでのスピーチはもはや不可能だろう。いつ銃弾が飛んでくるのかわからない。そもそも今回も防弾チョッキを付けていたそうだ。だが、彼は今後ますます不屈の男であるというイメージを保持しなければならない立場に追い込まれた。神話になったトランプ氏はこのまま不屈の男のイメージを維持するために「何事もなかったふりをする」し続けるしかない。
人間ドナルド・トランプは極めて特殊な人間である。彼にとっての最初の観衆は父親だった。父フレッド・トランプ氏の過剰な期待に応えるため「ビジネスの天才」である演技を要求されていた。
これがテレビには好都合だった。こうして彼はリアリティショーのタレントとして祀り上げられていった。トランプ氏の裁判で証言したタブロイド紙「ナショナル・エンクワイアラー」の所有者であるデビッド・ペッカー氏は「売れる素材を求める媒体とトランプ氏の関係はwin-winだった」と証言している。
実はトランプ氏は酒と煙草を嗜まない。父親と同じフレッドという兄がいたがアルコール依存症だった。厳しい父親のプレッシャーから逃れるためにアルコール依存に陥ったと言われる。兄の破綻を見ているドナルド・トランプは生きるために演技をし続ける必要があった。
このようにトランプ氏の人生は破滅の恐怖と嘘に支えられている。彼が24時間365日精力的に自分の持っているイメージを維持し周囲の期待に応えようとする根底にはこの張り付いた恐怖心があり彼の人格と不可分だ。
バイデン大統領が彼に太刀打ちできなかったのも当然である。ドナルド・トランプは最初から虚構を生きていた。ノンネイティブはネイティブには勝てないのだからバイデン氏は舞台を選ぶ必要があったのだ。
しかしその虚構の背景には成長できなかった本来のドナルドというか弱くて小さな存在があるはずだ。根底が破綻している虚像に過ぎないために破綻もどんどんと大きなものになってゆく。そしてついに彼は大衆の面前で「生きた神話」になってしまった。今後彼はこの伝説を担いながら生きてゆくわけだがこんな状況に長く耐えられる人間はいない。
彼に与えられた運命は2つある。1つはいつ殺されるかもしれないという恐怖心を抱えながら英雄を演じ続けるという過酷なものだ。もう1つは自分は神に守られてた万能で不死の男であると自ら信じ込んでしまうという運命だ。
だから、これは確かに英雄神話かもしれないが、個人にとってはアメリカという常に伝説を必要とする国家が作った悲劇なのである。
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