本日は権威主義的ポピュリズムについて書いている。権威主義的ポピュリストは人々の主観的判断に科学的・宗教的な権威を与え支持を集めるという手法と定義している。
日本でも一部権威的ポピュリズムの動きが出ているが支持はそれほど広がっていない。だがアメリカでは主要な政治的トレンドになっており社会を不安定化させている。そんなアメリカにはついに「妊婦を監視しろ!」と主張する人も出てきた。この議論はどこからきてどこに向かうのかについて考えてみた。
アメリカ合衆国には経済的に恵まれた進歩的な人たちとそこから置いてゆかれた人たちという対立がある。置いてゆかれた人たちは惨めな思いをしているがなかなか反論ができない。そこに宗教的政治的権威を与えたのが福音派とトランプ氏である。弱っていた自我は「権威」を与えられむしろ肥大化しつつある。
トランプ氏は人々の隠れた欲求に訴えかけ欲望の扉を開き、その時に解放されたエネルギーを自分の支持に転換する。だがエネルギーを盗まれた方はむしろ開放感を感じてしまう。そのうちアメリカが最も大切にしていた「自由」という価値観が失われ地域の平和も破壊されるが、そんなものはもうどうでも良くなる。
進歩に嫉妬する人たちはそのままでは嫉妬心を解放できないので一旦道徳に迂回する。彼らが「キリスト教の価値観に回帰せよ」と主張するのはそのためだ。彼らは「プロライフ(命を大切に)」を主張しているが実際には自己決定権を求める女性を敵視し彼女たちを妨害しようとしている。
中絶を禁止する方法はいくつもある。最も手っ取り早いのは中絶手術と中絶薬を禁止することだ。だがアメリカではこれでは飽き足らないという人たちがいる。彼らは「中絶をなくすためには妊娠した女性をモニター(監視)しろ」と主張し始めた。
自由がもっとも重要なテーマであるはずの国で「妊婦を監視しろ」という主張が生まれたことになる。女性を潜在的な罪人として扱っているのだが、議論をしている人たちはその異常さに気がつかない。隠れた欲望を刺激する権威主義ポピュリズムとそれによって解放されたエネルギーの凄まじさを感じさせる。理性が麻痺しているからこそ快楽が生まれるのだろう。
もともとはトランプ氏が火をつけた問題だ。ロー対ウェイド判決を覆したのもトランプ氏が任命した最高裁判事たちだった。今回の議論でトランプ氏は「それは州が判断することだ」として判断から逃げているのだが「行き過ぎたやり方に反対する」とは言っていない。
アメリカは自由の国なのだから人々が自分達の富を追求するのは構わない。だが富や繁栄の総量は限られていてそれを誰かが盗もうとしていると考える人も多い。トランプ氏はそうした人々の恐れを利用している。トランプ氏は人々にはプリミティブな防衛本能がありそれをちょっと刺激するだけで自分を支援してくれると知っている。
現在トランプ氏は刑事裁判にかかっており陪審員候補や証人を罵る発言を続けている。このままでは陪審員に危険が及ぶため判事は箝口令を出してトランプ氏の発言を制限しようとした。
結果的に「監獄送りになることもある」との警告が出され、9件については罰金も課されたそうである。だが監獄送りもトランプ氏にとって有利な材料になる可能性がある。自分の欲望を解放された人々はおそらく国家権力がトランプ氏を邪魔していると感じるだろう。
完全に理性が破壊された状態なのだが、危機に瀕した人の脆弱な自我にとって外から与えられる「自己の欲望の承認」という権威がいかに魅力的なものなのかがわかる。