面白い記事を見つけた。岸田総理が車座の意味と意義を勘違いしていたという。
長崎3区、島根1区、東京15区で補欠選挙が行われた。今回の最大の敗者は岸田総理と自民党である。今後ソフトランディングにせよハードランディングにせよ岸田さんをどうやって退場させるかという議論が始まりそうだ。
既に岸田総理が支持率を再浮揚させられる秘策はない。自分がリーダーでいられない政党を岸田総理自身が破壊してしまう可能性があるのではないかとも思う。そんなものは彼にとって何の意味もないからだ。
デイリー新潮が「岸田さんはどうやら車座の意味を勘違いしていたらしい」という記事を書いている。最初大笑いしやがて少し哀しくなった。勘違いが悲しいというより彼が持っている「リーダーシップ像」がよく如実にあらわれた記事だからである。
危機におちった日本人は「今は一致結束して難局を打開しよう」と考える。この時に象徴として使われるのが「輪(和)」である。輪には上も下もない。これが車座の本来の意味でありリーダーは当然ながら輪の中に一員として加わる。
ところが岸田総理は地元民に輪を作らせてその中に座ったそうだ。つまり自分が中心という絵を作ろうとしたのだ。カメラから見れば形には「前」がある。つまりインスタ映えならぬマスコミ映えを狙った構図だった。だが、当然岸田総理の顔が見えない参加者が出てくる。後ろに回った人は怒っていたと記事は伝えている。
今回の選挙結果の分析はこれから進むだろう。だが各政党とも新しい支援者を見つけることはできていない。そんな中これまで自民党を応援してきた直接のつながりや利権に期待する人や政権政党を支援していると周りに自慢したい人などが選挙に行かなかった。このため結果的に政権に批判的な人やちょっとした変化を期待する人だけが残り立憲民主党の勝利につながった。立憲民主党はおそらく「恥ずかしい自民党」を全面に押し出し選挙戦を有利に戦おうとするだろう。政策提案なしに選挙ができる上にそれなりの議席が期待できる。
自民党がこの状況を打開するには「つながりの再構築」を行わなければならないのだが、おそらくマスコミ映えのために輪を作らせ自分が真ん中に座るという「自分まんなか政治」の岸田総理では状況は打開できないだろうし、自民党の人たちもそれはよくわかっているはずだ。
今、自民党の支援者や伝統的なマスコミの人たちが最も懸念しているのは岸田総理に代わるリーダーが誰も出てこないという点なのかもしれない。
これまでの自民党であれば危機の時にはこれまで爪を研いでいた人が躍り出てきて一気に状況の転換を図っていた。自民党は派閥の連合体にすぎない。それぞれの派閥にはリーダー候補がいて常に現在のリーダーが弱るのを待っている。リーダーが弱れば後ろから襲い掛かり自分が取って代わろうという「王殺し」が起こるのが自民党の強みである。王殺しというと穏健でないと思われるだろうが金枝篇に出てくる有名なコンセプトだ。ゴールデン・ウィークの読書としては面白いかもしれない。民主主義には命を奪わずに「王を殺す」ための平和的システムという側面がある。国際的な戦争をゲームにしたオリンピックと同じアプローチだ。
ところがどういうわけか現在の自民党にはそのようなリーダーが現れない。前回森喜朗氏について触れた時にこの人も自民党が弱体化した時に談合で選ばれた人だと書いた。森喜朗氏が前に出てくる時というのはおそらく自民党が弱体化している時なのだが、なぜそうなっているのかはよくわからない。いずれにせよ新しいリーダーが出てくる兆しはない。
王殺しは伝統ではあるが制度ではない。つまりなぜそれが壊れたのかはよくわからない。そのうちにまた新しい王殺しが行われるかもしれないし、このまま組織として終わってゆくのかもしれない。
現在「普通に考えれば6月には選挙などできない」ということになっているが、岸田総理が支持率を挽回できそうな材料は潰えたといって良い。
そんな中、外遊が始まり国内政局を離れてじっくり考える時間ができる。あるいは彼は考えうるもっとも極端な選択肢を選ぶことになるのかもしれない。自分がリーダーでいられないならそんな政党は彼にとってはなんの意味もない。王を殺せない王国は王に滅ぼされる。王国は王殺しを使って「活力の回復を図る」というのがフレイザーの結論なのだ。