トランプ氏の裁判が始まった。今回の事案は口止め料(ハッシュマネー)裁判と言われている。つまり単なる週刊誌のスキャンダル裁判なのに刑事事件であり重罪とされている。まずここがわからないという人がいるかもしれない。
日本人にはわかりにくい裁判だが初日から大いに盛り上がった。かつての協力者であった出版人が出廷しトランプ氏に不利な証言を繰り返した。初日はほんの少ししか証言しなかったがそれでも裁判は大いに盛り上がった。キャッチ・アンド・キル(捕まえて殺す)や小切手ジャーナリズムという言葉が飛び交ったのである。
トランプ氏の裁判が始まったが日本語になった記事はさほどおもしろいものではない。大統領経験者が初めて刑事裁判の被告人になったという点だけが報道されている。
なおこのエントリーに書くことは全て一方の当事者の証言でありこれが証言として採用される保証はない。最終的に判決が出るまでは推定無罪だ。この点は強調しておきたい。
元々泡沫候補だったトランプ氏は2016年の選挙で大躍進を遂げついに大統領の椅子を確実なものにしつつあった。ところがここに降って沸いたような性的スキャンダルが出てくる。これが「アクセス・ハリウッド・テープ」である。検察の主張によれば「自分は有名人だから誰とでもセックスができる」と主張したテープが出たせいで陣営はパニックになったそうだ。CNNは「ダメージコントロールモード」に入ったと表現している。
大統領選挙直前を狙ったネガティブな報道が出たことでパニックに陥った陣営が何をしたのかが問題になっている。ここで出てきたのがかつて協力者だった出版人のディビッド・ペッカー氏だ。
CNNによればディビッド・ペッカー氏はどの記事を出すかを最終的に決定する権限があった。彼の手法は小切手ジャーナリズムと呼ばれる。スキャンダラスな記事は売れるがそれを差し止めるためにも対価を要求できる。つまり掲載と非掲載の双方で金儲けをしていたと開陳したことになる。
ディビッド・ペッカー氏はトランプ陣営は「キャッチ・アンド・キル」だったと言っている。つまり持ち込まれるスキャンダル記事をまず陣営に示せばそれを買い取ってくれる可能性がある。トランプ陣営は「スキャンダルを見つけてはそれをお金の力で握り潰す(殺す)」ためにいくらでもお金を出してくれる。
そもそも大統領候補が「俺は有名だからどんな女ともセックスできるんだ」と主張していたというのも刺激的だが、ジャーナリストの端くれが「このスキャンダルをいくらで買ってくれます?」と聞くというのもかなり刺激的である。日本でもそのようなことは起きているのかもしれないが、出版人が裁判に出てきて「いや実は」などと話すことはないだろう。ディビッド・ペッカー氏は今回の裁判の証言では責任を取らないで済むことになっているようだ。むしろ喜んで発言しているようにも思える。
そもそもなぜこの件が刑事事件になるのだろうか。それは選挙費用をスキャンダル潰しに利用していたからである。アメリカでは政治資金の透明性は非常に重要なテーマであり目的外使用は許されないものとされている。検察側は陪審員に対してスキャンダル潰しは選挙とは関係がないと主張する。
つまり陪審員がスキャンダル潰しが選挙と関係があると認定すればそもそもこれは罪ではなくなってしまう。だから弁護士は「これは目的外使用ではない」と主張している。むしろ「民主主義そのものなのだ」と主張していることになる。
Trump attorney: “There’s nothing wrong with trying to influence an election. It’s called democracy”
“I have a spoiler alert: There’s nothing wrong with trying to influence an election. It’s called democracy,” Donald Trump attorney Todd Blanche said of accusations the payments were trying to illicitly influence the 2016 election.
「ネタバレがあります。選挙に影響を与えるのに問題はありません。これは民主主義と呼ばれます。」トランプ氏の弁護士のブランシェ氏は「支払いは2016年の選挙に不法な影響を与えるものだった」と指摘する検察に対してそう言った。
そもそも「俺は誰でも好きな女を抱けるのだ」と豪語する人が大統領になり、お金次第では記事が差し止められますよと主張する出版人が堂々と裁判で証言し、弁護士は「スキャンダル潰しの何が悪い、それは民主主義そのものではないか!」と訴えている。民主主義の本場・議論の本場のアメリカならではの光景と言えるだろう。
アメリカでは誰でも自分の欲望を極限まで追求し堂々と自分が主張できる。これぞまさしく彼らが考える自由の国なのだ。