テレビ東京が【独自】「死因解明を」警視庁が告訴受理へと言う記事を出している。極めて異例のヘッドラインだ。誰が殺されたのかが書かれていないし事件名もついていない。この事件は「木原前官房副長官がらみ」の事件として注目されており文春は「木原事件」と表現しているが、刑事事件としてみた場合、木原氏はあくまでも無関係なのでテレビ東京は「木原事件」とはかけなかったのだろう。警察が訴えを受理したことで検察への説明が必要になり、マスコミも事件を伝えやすくなるそうだ。仮に新事実が出てきたときマスコミ側がこれまでこの事件を扱ってこなかったことをどう「説明」するのかも気になるポイントだ。
これまで文春は元捜査員の証言などを踏まえ「警察が政治に忖度をして何かを隠しているのでは」などと報道してきた。週刊文春はこの事件を「木原事件」と名づけている。だがこの木原事件がテレビで取り上げられることはなかった。
ジャニーズ問題で「単なる芸能ゴシップだと考えていた」という総括が放送局各社から出ている。誰に向けたものかは別にして、おそらくあれは「嘘」である。本当は「警察か検察が事件として認知するか野党が取り上げて国会で質問するまでは報道しない」という線がある。後で責任問題に発展することを恐れているからだ。日本のテレビジャーナリズムには業界で決めた「コード」や社会的了解がないため結果的に誤報になっても責任の取りようがない。
元捜査員の佐藤誠氏が実名で告白したことで事件はある程度の大きさで伝えられることになった。意外なことに、この事件をマスコミに持ち込んだのは佐藤誠氏ではなかったそうだ。おそらく警察の中で方針に疑問を持っている人がいてその人が週刊誌にネタを売り込んだのだろうと言われている。佐藤誠氏はのちに警察側が「事件性はない」と言い切ったことで実名で告発しなければならないと考えるようになったとされている。
Yahoo!ニュースのコメントにおいて「元特捜部主任検事」が、今回告訴が受理されたことでここに検察が関与することになると語っている。自殺であるという合理的な証拠を揃えて検察に説明しなければならなくなるとのことである。
さらにもう一つ変わるものがある。ジャニーズ問題を見てもわかるように「クラブ」に依存する地上波や新聞は警視庁クラブなどの公式発表がない記事を書くことはない。検察からのリークは安心して報道されるがそれは後々に正式発表があるだろうという確約があるからなのだろう。
つまり警察がこれを正式に調査したことで今後報道に対する事実上の規制がなくなったことになるようだ。8月ごろの週刊女性の記事には次のように書かれている。マスコミ報道は間違いがないことを前提に組み立てられている。このために間違ったときにどうするのかというコードが作れない。だから間違いがありそうなものは報じないということになる。
「殺人などの強行犯の事件は、警察の捜査情報を基に報じている。そのため警察が逮捕したというお墨付きの事実がなければ、大々的に扱えない。ウチも以前、この疑惑について警察幹部に取材をしたようだが“事件化はしない”と言われたそう。さらに今回、警察庁長官も“事件性はない”と言うなら、それ以上は踏み込めない。殺人も絡む疑惑だけに、ワイドショーでコメンテーターが誤ったことを話せば一大事。名誉毀損で済む話ではない」
ジャニーズ事件の時にも「なぜ我々は疑惑の時点で報じなかったのか」というような「一億総懺悔」番組が作られた。テレビの説明は「所詮芸能スキャンダルだと思っていた」というものだったがあれはおそらく嘘だろう。みんなが「あれはニュースだ」という空気が作られるまで一人ひとりの社員は行動を起こすことができない。間違えると大変なことになるからだ。だが、テレビの制作当事者たちはそれが認められない。彼らは世間に対して嘘をついているわけではないだろう。それは「自分達に向けた」おそらく本当ではない説明だ。
マスコミの基本的なリスク回避の体質は変わっていない。つまり今回の捜査再開で何らかの具体的証拠が出てきた場合、国民世論の批判を恐れるメディアは揃って「問題を軽視していた」とか「単なるスキャンダルだと思っていた」などとの言い訳を口にすることになるのかもしれない。
だたし、2006年の話なので「今から捜査をしても証拠が残っているかどうか」という状態でである。遺族は「今度こそ終わらせたい」と願っているという。真相よりも「世間が事件として認めようとせず見て見ぬふりをしてきた」という事実が遺族に重くのしかかっていたことがわかる。「30年かかった」というジャニーズ事件と同じ構図がある。結局のところ傍観もまた加害行為なのだろう。