国民の関係のないところで解散風が吹いていた。噂の火元を辿ると岸田総理だったようだが、マスコミはさかんに解散総選挙を煽り立てていた。結局この解散風は、岸田総理本人によって否定された。解散戦略が不発に終わり岸田総理はみずから「解散はしない」と宣言せざるを得なくなったのだ。国民不在で勝手に解散風が吹き、それが勝手に吹き止んだといえる。経緯を辿ると岸田総理の焦りが窺える。国民に政策が全く響いていないのである。
当初「解散」を盛んに報道していたのは日本テレビだった。岸田・麻生・茂木の誰かが解散に前向きだが誰が前向きなのかは言えないという報道である。次第に「実はそれは岸田総理らしい」ということになっていった。解散権を持っている本人が解散したがっているが、周りがそれを止めているとはとても書けなかったのだろう。
当初の総理と周辺の解散戦略は「徐々に増税議論が出てくるのだからG7の勢いがあるうちが人気のピーク」だという前提のもとに組み立てられていた。しかしすぐに二つのスキャンダルが噴出する。一つは公明党との選挙区調整の失敗でもう一つは岸田総理の息子が主催したとされる忘年会問題だった。この二つの問題でG7の盛り上がりは「プラマイゼロ」になり最新の支持率ではまた支持と不支持が拮抗するという低空飛行に戻ってしまった。
結局、岸田総理自体が「解散を否定する」という不思議な事態に陥った。
岸田総理は最後まで解散を検討していたのではないかと思う。かなり不自然なタイミングで少子化対策をまとめたと記者会見してみせた。岸田総理の指導力が強調されており肩に力が入った改憲となっていた。この記者会見の世間の反応は不思議なものだった。「財源議論がされていない」ことはさほど問題になっていない。一方で案の中身が少子化対策に効果的だと思っている人もあまりいないようだ。つまり、記者会見は反発されることもなくスルーされている。「新しい資本主義」の学習効果による物だろう。どうせ大きいのは看板だけと見抜かれているのである。
同様の反応が防衛増税にも見られる。増税が反発されているという兆候はない。だが熱烈に支持されているということもない。どうせ国民の負担増を伴う改革などできないだろうという見込みがある。さらにマイナ保険証問題も「パニック」にはなっていない。問題が多発しており「どうせできるはずはない」と見做している人が多い。
国民が「どうせできないだろう」と思えば思うほど岸田総理の記者会見は肩に力が入ったものとなる。こうして全ての政策が空回りしている。空回りしているが否定まではされない。カラカラ回っているだけなので放っておけばそのうちに止まるだろうと思われているようだ。
ただ国民の漠然とした不満は溜まりつつある。真偽の程は定かではないが自民党の情勢調査で維新への期待が集まっているという報道がある。安倍総理が牽引していた「改革」への期待が剥落し維新に支持が移り始めているようだ。
おそらく保守層と呼ばれる人たちは自民党公明党政権の政策や財政秩序維持には全く期待しておらず「他の何か」を期待している。一部の過激な人たちを除くと「その何か」というのはうっすらとした改革欲求だろう。政権交代のような大きなものは期待しないが前進や成長はしてほしいという程度の改革欲求だ。とはいえ「34増」なのだから維新による政権交代にまでは至らないと言った程度の「変化」である。
安倍総理は景気が拡大しようが縮小しようが「私のおかげで経済は絶好調だ」と言い張っていた。野党の追求ににもかかわらずこのメッセージが買われたのは国民が「自分たちはまだ大丈夫」だと信じたかったからだろう。例えば現在は日経平均が「バブル後最高値」になっている。中央銀行の政策の違いによって支えられており、円安を背景に額面が膨らんでいるだけとも言えるのだが安倍総理ならばこれを最大限に利用し国民に多幸感を与えようと試みていたはずである。投資などしないという人は「株価が上がれば経済は上向いているのだろう」と単純に信じる。
岸田総理は「外交と政策で成果を上げる」という正攻法で支持を高め選挙に打って出たかったのであろう。国民は「なんとなく我々は大丈夫なのだ」という気分には浸りたいが、実際に政策には期待していない。
結果的に岸田総理の焦りだけが空回りする形となり自民党の議員の中には無駄に選挙準備をさせられたという怒りが生まれているようだ。「永田町には解散風が」と言っていた毎日新聞も今度は「解散を弄んだ岸田総理に対する不満が渦巻いている」などと書いている。