ざっくり解説 時々深掘り

なぜ人々は「財産を捨てて餓死すればキリストに会える」というカルト宗教の主張を信じ込んでしまったのか?

ケニア南東部のマリンディ近郊の森で子供を含む47人の遺体が見つかったというのがこの事件のきっかけだった。人々はカルト教団「グッドニュースインターナショナル」の指導者に洗脳され餓死する道を自発的に選んだとされている。

大勢の信者が救出されているが中には救出を拒むものもいたという。信者たちは不動産を幹部に捧げていたことがわかっている。遺体の中には臓器が抜き取られていたものもある。それにしても人々はなぜ進んで騙されるのか。色々な記事を読んでみた。

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最初に発見された遺体は47人だった。だが、その後も死者の数は増え続け90人を過ぎたところで遺体安置所が満杯になり捜査は一時中断された。最新情報では死者の合計は133人になっている。「これで終わりではないだろう」と考えられているそうだ。一部は臓器が失われており臓器売買の対象になっていたものと考えられている。臓器販売は組織的に行われていたようである。

今回の集団殺人事件の容疑者は教団指導者はポール・マケンジー・ヌセンゲ(一部ではンテゲ)とその一味である。信者たちの中にはマケンジー被告の指示で不動産を売却したものもいる。別件でテレビ宣教師エゼキール・オデロ師も逮捕されているが信者から多額の金を受け取ったものと考えられている。

カルト宗教の問題を扱うと洗脳の激しさが問題になることがある。今回の件も例外ではなかった。

ロゼリン・アセナさんは教団が弟をアルコール中毒から救ってくれたと感謝していた。だが弟がだんだんおかしくなって行ったことに気がついていたそうだ。

弟はまず「聖書は教育を認めていない」と主張しはじめた。さらに電子マネー、医療機関の受診、ワクチン接種、女性のかつらの着用などにも反対していたという。家族は脱会を説得したがケビン・スディ・アセナ被告はこれを受け入れなかった。2019年に教会が閉鎖されると「もう土地も家もいらない」と言いそのまま教祖について行ったそうだ。

ロゼリンさんの弟であるケビン・スディ・アセナ被告はヌセンゲ被告の下で大勢の信者を見張っていた容疑がもたれている。カルト信者が断食を続けるように監視をする「用心棒団」に所属する16人のうちの1名だったそうだ。

監視対象者の中には妻と5人の実の子供が含まれている。妻は今回の逮捕劇で解放され現在はカウンセリングを受けているが、子供は一人も見つかっていないそうである。つまり既に亡くなった可能性があるということになる。

ただし洗脳されていたのは共犯者だけではない、実は犠牲者の中にもいまだに救済を拒む人がいる。

彼らは飢え死にすれば天国でキリストに会えると信じ込んでおり自分達が天国に行くことを妨害されていると信じているのである。救出された人たちは無理矢理病院に送られたが救出を試みる人たちを敵だと罵っている人もいるそうだ。ブドウ糖の入った水を与えようとしても「いらない」と言って拒否されることがあるという。

BBCのピジン語のレポートによると人々が騙されるメカニズムは次のようなものである。

ケニアには解決されない問題が多くある。一方で雨後の筍のように(ピジン語版ではキノコのようなと表現されている)多くの規制されていない「キリスト教会」ができている。彼らはとにかく何らかの救済策を求めており例えそれが「飢え死にすればキリストに会える」というものであったとしてもそれに従ってしまうのだという。

ケニアは人口5300万人程度のアフリカの中堅国家である。ケニアの北にはエチオピア、ソマリア、南スーダン、スーダンなどがあるがこれらの国々は国家としては既に破綻しつつある。一方でケニアの民主主義はかなり安定しており経済成長率も高い。全体的な識字率も高いのだが、格差の拡大が問題になっている。つまり経済成長率が高い分だけ発展から取り残される人も多いということがわかる。

一方で「騙した側」の人たちは不動産を奪い、財産を寄進させ、臓器を売買したりしてお金に困らない暮らしをしていた。犠牲者を単なる対象物とみなす搾取する側の人間がいかに残酷になれるのかがよくわかる。

この話だけを聞くと「アフリカではひどいことが行われている」という気持ちになる。ロイターはこの問題は「カルトによる悲劇の最新作だ」と言っている。リストの中には日本のオウム真理教や欧米の事例も含まれている。

最近の統一教会やエホバの証人の問題を見ても決してこれが他人事ではないといえるだろう。どんな環境であっても人は進んで騙されることがあるのだ。

参考文献


Comments

“なぜ人々は「財産を捨てて餓死すればキリストに会える」というカルト宗教の主張を信じ込んでしまったのか?” への1件のコメント

  1. 辻英利のアバター
    辻英利

    信教の自由と宗教の自由は合致しない!
    結社の自由とかあらゆる自由と呼ばれるものには制限がある。何でも自由なら殺人も自由であると主張する人が生まれる。
    政治家から宗教色を排除し、宗教は本来人を幸せにする目的であるべきであり、宗教法人格とその優遇策を原則全て排除すべきである。その上で、歴史的遺産に対する予算処置を取るべきです。雨後の筍の様な新興宗教は要らない!

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