今日のテーマは日本の物価高はいつから始まっていたのかというものだ。そんなのは岸田政権になってからなので考察する必要などないと考えている人もいるのではないかと思う。立憲民主党などの野党が提唱する「岸田インフレ批判」もその典型だろう。
だが実はインフレはすでに始まっていたのではないかと思う。
これがあまり意識されてこなかった理由は統計に表れない値上げだからだ。その一例が「ステルス値上げ」だ。
ある研究によるとステルス値上げが最初に多く見つかるのは2008年ごろなのだそうだ。黒田総裁が就任してから徐々に増え始めて最近では落ち着きを取り戻してきた。いよいよステルスではカバーできなくなってきていたのだ。これが2019年ごろの状態だ。
日本で横行している「ステルス値上げ」という記事がある。東京大学大学院の教授が書いている。この教授は2017年に初めてステルス値上げという言葉を知ったと言っている。この教授は「実際にステルス値上げがどれくらいあるか調べてみよう」と思い立ち研究のテーマにした。ステルス値上げが最も増えたのは2008年だった。リーマンショック近辺で経済が落ち込んだ時代だ。つまり元々は突然降って湧いた不況対応だったのだ。
世界的に経済が停滞すると企業は原材料費の高騰に危機感を感じ値上げを模索した。ところが日本ではなんらかの理由で値上げが起こるとその商品が離反されて終わりになる。そこで企業が考え付いたのが「こっそり量を減らす」というステルス値上げだった。
この教授によると次にステルス値上げが増えたのが安倍政権が始まってからだった。黒田日銀総裁の円安誘導政策の時期と一致する。以下これを黒田円安と呼びたい。黒田円安により輸入原材料価格は上がり始めたが日本の産業はすでに円安の恩恵を受けられなくなっており給料も上がらなかった。
そこで企業は不況の時に覚えたステルス値上げを常態化させる。この時期は日本がじわじわと貧しくなっていった時期だ。具体的に言えば100円均一ショップやリサイクルショップが増えていった。今では銀座にもダイソーがある。
100円均一ショップは中国の安い労働力に依存する形態であり、リサイクルショップは過去に家計が蓄積した消費財の再放出である。新製品の小型化・中国の安い労働力・過去に家計が蓄積した消費財の再利用による節約の三点セットが黒田日銀総裁が誘導した「日本の新しい経済」だった。
ここから黒田総裁の金融政策は十分に作用していることがわかる。自分で買い物らしい買い物をしない庶民生活音痴の黒田さんが計算外だったのはそれでも統計上の値上げが起こらなかったという点である。企業は売る量を減らし人々は買う量を減らして対応した。つまり黒田政策は日本の貧困化に寄与しただけで名目的な経済成長には結びつかなかった。賃金所得上昇が伴わなかったためだ。
だが庶民生活がわからない黒田総裁はその後も庶民生活を圧迫し続けた。そしてついに円安の影響でステルス値上げが限界にきたことを察知し「家計はついに値上げを容認したぞ!」と喜び勇んで発表したのだ。当然国民からは一斉に叩かれた。
だが黒田さんが誤認したのも無理はない。「ステルス」というだけあって誰もそれに気がつかなかった。東大の教授がこれに気がついたのは2017年だ。2017年のハフィントンポストがイギリスではステルス値上げというものが起きているが実はそれは日本でも見られると書いている。つまりこの時代になってやっとステルス値上げというものがあるらしいと日本で知られるようになった。
Google Trendを見ると実際に検索されるようになったのは2019年だった。
日経新聞が値上げのニュースが増えたと書いているのはこの2019年だ。現象が見られたのは2017年だそうである。やはり2017年に一部に知られていたことが2019年になって顕在化しつつあったことがわかる。
日本経済新聞(朝夕刊)で2017年度に「値上げ」という言葉が付いた記事は1209件ありました。一方、「値下げ」は521件でした。16年度と比較すると「値上げ」は333件も増え、「値下げ」はわずか9件しか増えていませんでした。
「値上げ」多いのに上がらない 消費者物価のカラクリ
この頃になると企業努力によるステルス値上げはもう限界なのではという記事も見つかる。日経ビジネスの「スタバもココイチも値上げ、「ステルス」は限界に」記事である。
ただこの時も消費者は「なんとかなる」と思っていたのではないだろうか。この年の末に新型コロナが流行し始めて2020年はコロナ不況ということになった。そのためステルス値上げの話はまた忘れ去られてしまう。
今回、日銀の円安誘導政策継続に乗る形で「日本の物価高はもう限界」ということになっている。黒田総裁が「家計は物価高を容認している」と発言したことによって漠然と黒田総裁=物価高誘導という印象が付き「現在の喫緊の課題は物価高対策であり選挙は物価高対策に注目して投票先を決める」と考える人が増えているようだ。共同通信の調査によると42%が物価高対策を喫緊の課題と考えており政府の物価高対策は十分でないと考える人も多い。
実際の値上げはずいぶん前から起きていたと考えると「今の問題に対策を講じたから」といって物価高の問題が解決することはないだろう。政治が解決しなければならないのは表面的なモノの価値ではなく中間所得層の購買力の低下である。だが与野党ともにこれに触れた考察はあまり多くない。とりあえず目先の選挙のことで頭がいっぱいだからである。
さらに国民も「政府や政治家がこの問題に対処してくれる」とは思っていないはずだ。なぜならばこの10年間放置され続けてきた問題だからである。野党に頼って問題作の打開をはかるのではなく、100円均一ショップやリサイクルショップを利用してうまく乗り切ろうと考える人が多いのではないかと思う。
だが円安が進み中国と日本の人件費格差も縮小しつつある。つまり100円均一ショップに代表される節約策は今後取りにくくなるのかもしれない。荻原博子さんや森永卓郎さんが提唱してきた「節約的生き方」は今後難しくなってゆくのかもしれない。
改めて見ていると我々の考える因果関係は随分現実とは異なって捉えていることがわかる。今ようやく気がついた現象を今起きている変化と直接的に結びつけてしまうのである。
いずれにせよ物価高対策が選挙の重点項目として注目されつつも野党の岸田政権批判が盛り上がらないのはこの辺りに事情があるものと思われる。実は政治はあまり期待されていないのかもしれない。すると共同通信の調査の読み方が変わってくる。42%は物価高が重要な問題だと考えてはいるが多くの人が「どうせ何もやらないだろう」と感じているわけだ。
「物価高対策が十分だとは思わない」の79.6%に「政治が問題を解決すると思うか?」と聞いてみればよかったのかもしれない。おそらく「そう思う」と答える人はそれほど多くないのではないかと思う。
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