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令和国民会議(令和臨調)が発足

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岸田政権が令和国民会議(令和臨調)という会議を発足させた。記事についている写真を見るとわざわざ臨調と書いてある。昭和世代には懐かしい響きだが「臨調って何」と思う人もいるのではないだろうか。

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時事によると令和国民会議(令和臨調)は財政再建や政権交代可能な政党政治を目指す政治機構改革などを提言する会議のようだ。だがそれだけではあまり期待が持たれそうにない。今までもこうした改革型の提案はいくつも行われてきたが「提言だけでは何も変わらない」ということは国民がよく知っているからだ。重要なのは実行力と国民の期待だ。

そこで岸田総理が期待したのが昭和の記憶なのだろう。平成令和時代の人には全く馴染みがないだろうが、昭和世代はこの「(第二次)臨調」を土光敏夫という人の名前とセットで覚えている。第二次臨調は1981年に鈴木善幸総理政権で中曽根康弘行政管理庁長官が始めた改革会議だ。この時のテーマは増税なき財政再建でメインの議題を提案し議論をリードしたのはエンジニア出身の土光敏夫という名経営者だった。

昭和世代は「メザシの土光さん」で記憶している人が多いはずである。経営者であるにも関わらず月々の生活費は僅か10万円だった。朝食は質素なメザシだと報じられ国民の期待は高まった。つまり政治が贅沢せず質素倹約に努めれば増税をしなくても財政は再建できると土光さんは考えたのだ。ただし土光さんには東芝を復活させたという実績もありこの質素倹約は必ずしも「ポーズ」というわけではなかった。

土光臨調は「成功した」という人と「骨抜きにされた」という人がいる。

中曽根行政管理庁長官の狙いは国鉄改革だった。自民党政権に敵対する国鉄の労働組合を解体して民営化するのが主な目的だ。結局「質素倹約を旨とする土光さんに言われたら仕方ない」として国鉄の民営化は国民から支持されることになった。この国鉄民営化はJRが成功したこともあり行革の成功例とみなされている。確かに国鉄のサービスは民営化により向上した。民営化されて「感じがいい鉄道会社」に生まれ変わったわけだ。

一方で「増税なき財政再建」という約束は骨抜きにされた。この後中曽根政権時代からバブルに突入しその結果起こったのがリクルート事件である。政治家や官僚が我も我もとリクルートから利益供与を受けていたというニュースが連日取り上げられることになった。さらに中曽根政権の次の竹下政権で「消費税」という新しい税金が登場し「増税なき財政再建」という約束はどこかに追いやられてしまう。ふるさと創生事業で地方自治体に1億円をばらまいたが国民の批判は収まらず宮沢内閣を最後に自民党は政権を失うことになる。

臨調の目的は痛みを伴う改革を国民に受け入れさせることだった。上からやると嫌われるので民間のスターを起用したのだ。国鉄改革などが決まると政治的には用済みということになったわけだがこうした政治姿勢そのものが国民に離反されてしまったことになる。

成功例とみなされていた国鉄改革も地方と中央では違った結果が出ている。中央ではサービスが向上し成果が見られる一方で、四国・西日本・北海道などでは不採算路線の切り離し提案が進み自治体からの反発も大きい。国は「不採算路線の廃止には地元の同意が必要」とはいうが「国が財政を支えますよ」とまではいってくれない。すでに切り離されたサービスであり地方とJRで交渉してくださいという姿勢である。

昭和世代を知っている国民がこうした経緯をどれくらい覚えているのかはわからない。だが岸田総理がわざわざカッコ書きまでつけて臨調という言葉を使ったところから見ると臨調は国にとって成功体験になっているのだろうなということがわかる。

時事通信によると、令和臨調の共同代表には茂木友三郎キッコーマン名誉会長や佐々木毅元東大学長らが就任し政権交代可能な政党政治の実現を目指す統治構造改革やポストコロナ時代の新たな国土構想などについて提言をまとめるそうだ。

この臨調から新たなスターがでてくるのか、単に参議院選挙対策で終わってしまうのか、成り行きに注目が集まる。

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