日本大学はいつからおかしくなったのかと思い調べてみた……

日大の田中理事長が逮捕された。容疑は脱税だそうだ。家の中には無造作に部下から上納されてきたらしい現金が置かれていたそうだが、理事長は「タンス預金である」と主張しているという。あまりにもずさんで異常な光景だがこれがいつの間にか定着していたことになる。報道を見ていて日大はいつからおかしくなったのかと思ったのだが、調べて見たところ始めからこんな感じだったようだ。

少なくとも源流を1968年以前にまで遡ることができる。




もともと田中理事長は東北の農家の三男で相撲の名選手だったそうである。卒業後は大相撲に進まずそのまま日大に職員として残った。最初の功績は学生運動から学校関係者を守ったことだそうだ。

日大闘争・日大紛争は1968年に起こり1969年に収束した。裏口入学の謝礼を教授が脱税していたことに怒った学生たちが教職員や父兄会を巻き込み「闘争」に発展した。機動隊が投入され死者も出たそうだ。

背景にあったのは急速な大学の拡大である。各学部が独立採算制を敷いていて一部の資金を上に上納する仕組みになっていた。急速に拡大したために授業の質は低かったそうだが高度経済成長期だったため学生獲得には困らなかったものと思われる。

大学が説明責任を果たさなかったことから公式の学生組織とは別の学生団体が作られ「団交」を申し込んだが相手にされず学生運動に発展した。国税局の調査で過去5年間で20億円もの使途不明金ががあったことがわかり問題はさらに大きくなる。教職員の給料にも使われていたという。

学生運動は過激化し学生が落とした16kgもあるコンクリートが巡査部長にあたる。これを受けて警察の態度は過激化し徹底排除に向かうことになる。佐藤栄作首相も「常軌を逸している」と発言するまでになり全共闘に対する風当たりは強くなっていった。

だが、問題を過激化させたのは国や警察の対応ではなかった。当時の古田会頭が力で学生紛争をねじ伏せようとしたのだ。古田会頭が「私兵」として使ったのが体育会系の学生で田中英壽前理事長もその中の一人だったという。学生横綱出身で力も強く体も大きかったのだろう。

だが日大闘争の記憶と現在起こっていることの間にはかなりの時間的の開きがある。

現在の日本大学は国内最大規模の9万5千人の学生と生徒を擁する。国と自治体の補助金も212億円入っているそうである。

クローズアップ現代の取材によると井ノ口元理事と医療法人の前理事長の籔本雅巳被告の背任は立件できそうである。付属病院建て替えという名目で実態のないコンサル料2億2000万円を大学側から企業に流した。さらに必要のない医療機器を調達させここからも2億円を流出させたという疑いがかかっている。

井ノ口元理事は阿佐谷詣でを繰り返した田中前理事長の信任を得た。恫喝しておいてそのあと可愛がってみせるという「人心掌握術」を持っていたともされているそうだ。日大が関わる物品や警備サービスなどを一手に独占するようになりその売上規模は70億円になっていった。

田中前理事長は「迷惑をかけると悪いから辞任する」が「理事は辞任したくない」と考えていたようである。学内には田中派が残っていて「理事の椅子に残ってさえいればあとはどうとでもなる」と考えていたのかもしれない。世間が反発し文部科学大臣が「記者会見を開いたほうがいい」と言ったことでようやく理事の解任と記者会見が決まったそうだ。自浄作用は期待できそうにない。

厄介なことに田中前理事長の背任は本当に証明できないかもしれない。井ノ口元理事長が自発的にお金を上納していて何の金なのかわからない金が帯封を切られないままで田中前理事長の自宅に「転がっていた」可能性があるからだ。田中前理事長は何だかわからない所得を国に報告しなかっただけなので脱税にしかならないのである。そこで捜査当局はこれを8,000万円の所得とみなしてやっと逮捕に踏み切った。

あまりにも異常な光景だが、ではいつからそうだったのだろうか?

クローズアップ現代は1969年と現在を埋める取材もしている。学生闘争で全共闘潰しをやったあと職員に運動部出身の職員枠を設けて数を増やし徐々に影響力を増して行ったのだという。理事長に就任した4年後の2012年に総長ポストをなくして学長に置き換える提案をしたそうだ。

首相が大統領ポストを廃して自分がトップに君臨するという意味ではもはやクーデターだが、大学評議員会はこれを承認してしまう。反対者は100人のうち2名しか出なかったそうである。理事長には任期が設けられていない。つまりやすやすと独裁体制が作られてしまったことになる。

今回の件で「大学のガバナンス強化」ということが言われているが、おそらくガバナンスが強化されることはないだろう。今回の問題の源流は明らかに1968年にあるわけだがそのきっかけも「教員らによる着服」だ。単に「私兵」として入れた体育会系学生に教員が支配されるようになっただけと考えると、日大は最初から「そういう学校だった」ことになってしまう。

この問題で最後に問われるのは学校と社会の関わりである。大学には自治権が認められるべきだという人もいる一方で人材教育に関わる以上は一定の枠を設けるべきだと考える人もいるだろう。

大学の教員・旧教員の中には裁判に訴えた人たちもいるそうだが訴えは棄却された。大学に責任を問うた前例がないことが棄却の理由だそうだ。読売新聞によると文部科学省もなぜか腫れ物に触るような微妙な対応で「内部でしっかり議論してほしい」と傍観者的姿勢に終始している。一部週刊誌の伝えるところでは政治家との関係も指摘されているようで「何が飛び出すか」わからないからだろう。

サイト内Google検索


Google Recommendation Advertisement



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です