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買収の話 – お金を払ったら投票してもらえるのですか?

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河井克行夫妻が逮捕されて「そもそもお金をもらったらその人に投票しようと思うのか?」という疑問を持った人がいるようだった。これを読んで「日本の政治的常識が変わってしまっているんだろうな」と感じた。「抱き込む・巻き込む」という概念が理解されなくなっているのだろう。これをどう説明しようかと考えた時バブルからの流れを説明するのが一番良さそうだと思った。

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日本でバブルが崩壊したのは1991年ごろのことだとされている。だが、実際に大蔵省の総量規制通達があったのは1990年なのだそうだ。この頃に何があったのかを調べると、だいたい三つのことが起きていた。1989年のことである。ちなみに昭和天皇が年の初めに崩御している。

  • 土地バブル
  • リクルート事件
  • 消費税増税

実はこの三つは重なっている。大蔵省は将来の少子化などを見据えて直接税から間接税に移行したかったのだろう。だが政治家が関与する物品税に戻したくはなかったし売上税には国民の抵抗が強かった。税収が安定していたバブルは彼らにとっては格好の機会だったに違いない。たとえそれが実体のないものであったとしても、である。

バブル経済では土地を右から左に流しただけで儲けることができた。首都圏には住宅地需要があり土地整理組合などが作られていてすでに地元政治家と地権者が儲けを分け合うスキームができていた。リクルートの江副会長はいろいろな政治家・官僚・財界人などに未公開株を配りまくったのもこういう常識があったからだろう。つまり地域を越えてより多くの人を抱き込むことでビジネスを拡大しようとしたわけだ。あらかじめ利益を渡して「あなたのことは悪いようにはしませんよ」とわかってもらおうとした。株は将来の利益への確かな配当の約束だったのである。

だが江副会長は裾野を広げすぎた。このため歯止めが効かなくなり新聞に嗅ぎつけられてしまい一大汚職事件に発展してしまう。パーティーでいうと騒ぎすぎたのだ。のちに森田康日本経済新聞社社長もリクルート事件で儲けを出していたことがわかった。マスコミもそのスキームの一部になっていたのである。

消費税が導入されたのは1989年4月だった。だがこの当時の新聞は「リクルート事件でまた誰かが逮捕される」というような報道が相次いでいた。「これで全部膿は出し切った」はずなのに次から次へと連座する人が出てきたため国民の不信感が高まった。

この時に竹下登総理がやったのがふるさと創生事業である。土地で儲けられない地方自治体に直接一億円ずつばらまいたのである。国民が文句を言うのは「一部だけが儲けていてずるい」ということなのだから、それを合法的に広げてしまえばいいという発想だったのではないかと思われる。

日本人は「政治はきれいに行わなければならない」などとは思っていなかった。一部の人だけが儲かることがずるいと感じているだけなのである。

では、なぜこれが政治資金の規制に傾いてゆくのだろうか。それは大蔵省がバブルを崩壊させてしまったからである。総量規制がなぜ行われたのかはわからないが大蔵省から見ると「消費税も導入したしもう景気を元に戻していい」と考えても不思議はない時期である。

最初にバブル崩壊の影響を受けたのが大学生である。就職氷河期という言葉は1992年の新語なのだそうだ。この怒りが急速に自民党に向かう。政府は国民に消費税を押し付けて自分たちだけで利益を独占しようとしているということになった。宮澤内閣が1992年に政治資金規正法を部分的に改正するのだが国民は納得しなかった。ついに宮澤内閣不信任と総選挙の敗北を経て非自民首班の細川内閣の誕生に至る。細川内閣は政党助成金制度などを作り「政治資金の透明化」を図った。

この流れを見てると、国民・有権者がきれいな政治を求めて政治資金改革を求めたのかはきわめて怪しい。おそらくはバブル経済が崩壊し「分け前がもらえなくなった」という不満を自民党にぶつけたものと思われる。

ちなみに宮澤内閣から細川内閣への流れを見ていると政治資金規制と選挙制度改革がセットになっていることがわかる。主導権争いがあり、羽田孜・小沢一郎らが宮澤総理と対立し政治制度改革は実現しなかった。つまり、政治の側は国民の怒りを背景に自らの政治的野心を実現しようとした。これがのちの小選挙区制度へつながってゆく。

SNSに書いたのはそのあとの非自民勢力のグダグダぶりである。社会党が受け入れられなかった保守勢力が社会党を追い出し、怒った社会党は自民党と一緒に政権を作る。だが自民党に対する妥協に起こった社会党支持者が離反し社会党が崩れてしまう。この時の混乱は未だに尾を引いており、国民民主党・立憲民主党の分党や、立憲民主党と社民党の合流構想などをやっている。20年以上同じようなことをやっている。その度に小沢一郎の名前が出てくるというところまで同じだ。小沢さんも20年以上同じようなことを繰り返している。

今回河井克行さんの騒動で見えてきたのは「おそらく広島はずっとこういうことをやってきたんだろうな」ということだ。つまり、外から衆議院議員が入ってきたら地元の人たちに挨拶をして「皆さんを利益共同体に加えますからどうぞよろしく」というようなことをやってきたのだろう。豊田真由子元衆議院議員も同じような証言をしている。応援してもらうためには最初に利益共同体に加えるという盟約を結ばなければならないわけだ。ただ、リクルート事件のような複雑なスキームは作れない。だから直接お金をばらまいているのである。

地元議員にしてみれば「まず自分のところに来て当然先生のお名前は伺っていますし何かおいしい話があれば当然ご相談します」といってくれる人でなければ応援しないということだ。さらにはその地元政治家の背景にも分け前を期待する人が付いているのだろう。ここで安倍総理や二階幹事長の名前を出すことで「中央と地方とは一蓮托生ですよ」という印象を与えることができる。日本人の心はお金でつながっているということになる。まさに金の切れ目が縁の切れ目なのだ。

変化もある。有権者の中にはこうした日本のムラ的なインナーサークルのことを全く知らない人が出てきている。こういう人たちは素直に「お金を配ったら投票してもらえるのだろうか」と考えるのだろう。

実はこの「買収」というのは日本の政治の根幹になっている。カネのような具体的なものがないと日本人は集団を信用しない。だから自民党の政治家たちは地方議員や候補者の支援を止められない。これを広げすぎると「買収」ということになってしまう。

時事通信の内閣支持率を見ると支持率は伸びずに不支持率だけが伸びている。これまで無関心だった層の人たちが不信任に動いているようだ。この二ヶ月は対面調査ではなかったのでじっくり考えた結果「どちらとも言えないではなく不支持なのだ」と考えたのかもしれない。

だが無党派層というのはカネで心がつながっていない人たちなのだからおそらく理念や政策といったふわふわとして不確かなもので政治に関与しようとは考えないだろう。日本のいわゆる民主主義は「お金という確実なものでつながった」利益分配政治のお化粧の一つだと考えるとわかりやすい。おそらくこれがある種の安定と停滞を生み出しているものと思われる。

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