アルゼンチンがまたしてもデフォルト危機にあるという。新聞や雑誌は辛抱ができずポピュリズムに走る国民を非難するような論調である。だが、本当にそうなんだろうか?と思った。
緊縮財政を行っていたマクリ政権に人気がない。そこでアルベルト・フェルナンデスという「ポピュリスト」が政権を取りそうだというニュースが流れるとアルゼンチンペソが下がりデフォルトリスクが浮上した。格付け会社の中には実際にデフォルト状態にしていたところもあるようだ。
ところが最近になってマクリ政権下でもすでに国庫には金がないということをアルベルト・フェルナンデス候補が言い出したようだ。マクリ政権も緊縮では選挙に負けると考えて政策を変えつつある。一方で、アメリカの国際金融学者は「アルゼンチンはどっちみちデフォルトを起こす危険性が高い」などと言っている。「ポピュリズム政権で市場が混乱するだろう」という見込みに基づいての観測だろう。日経新聞は「左派ポピュリズム政権が市場に見捨てられた」という観測を流している。
だが、実際にはアメリカで金利が正常化しつつあり資金が海外に流出しているという側面もある。つまりアルゼンチンが真面目にやっていないからデフォルトに近づきつつあるとばかりは言えないのだ。
アルゼンチンがデフォルト危機を繰り返すのは国民の意識が変わらず財政規律を守りたがらないからだという話がある。統計の不正問題も起きているのだという。ただ、同じような条件下似合っても日本はそうなっていない。日本は債権国だからである。
アメリカの金利が「正常化」に向かうとわざわざ新興国に投資しなくてもよいと考える人が増えて資金が債務国から債権国への引き上げる。すると通貨価値が下がるので対外負債の負担が増え、新興国が軒並みデフォルト危機に陥ってしまう。
アルゼンチンが危ないということはトルコなんかもそうなんだろうなと思ったら、案の定そのような記事が見つかった。2019年5月の記事では「過去2年で40%もリラの価格が下がっている」そうだ。
しかし債権国にお金が流れ込んでくると言っても「債権国の人々」にお金が行きわたるわけではない。あくまでもお金を持っている人に流れ込んでくるというだけの話である。このため債権国の政府は有権者に政府支出で対応するか見殺しにすることになる。お金を生み出して動かしているのは国際金融であり、製造業やサービス業などの実業ではない。働いてもお金が稼げないから庶民の暮らしは楽にならない。
例えば日本は高齢者には手厚いが現役世代や将来世代には冷たい。フランスではまたイエロージャケット運動が再燃しつつあるそうだ。国際金融が作り出した嵐に晒されるのは一般庶民である。
ところが先進国の代表者たちは決してこのことを問題にしない。却って状況を悪くするような行動に出ている。
アメリカでは不満を持った人がトランプ大統領を支援した。トランプ大統領は有権者の目を中国に向けようと関税競争を始めた。面子を重んじる中国も応戦し、91兆円が失われる危険性があるとのことなのだが、実際にはそれがいくらくらいの損出になるのかはわからない。米中貿易戦争も不透明さを増すのでさらに債務国から債権国に資金が戻ってしまう。金融市場の不安定化を温暖化に例えると、最初の温暖化が連鎖反応を起こしつつあるような状態である。
アルゼンチンはデフォルト危機を繰り返しており改革も進まなかったことで中堅層が大量に国内流出したそうである。動ける人は国を去ったわけだ。中に残った人たちが「ある日突然目を覚まして」改革を志向するということなどないということがよくわかる。ところが今回の嵐には逃げ場がない。国際金融も貿易もつながっているので、まともに機能している資本主義国がどこにも存在しないのである。
民主主義が成り立つためにはその担い手が安定感を感じていなければならない。特に現在の民主主義は普通選挙による民主主義だから庶民の動揺が直接民主主義の危機につながってしまう。マクリ政権はきちんと財政規律を守ったがその恩恵が庶民にもたらされることはなく企業が吸い取るだけだった。いくら頑張っても暮らしはよくなららない。「ではポピュリズムだ」とか「もう暴れるしかない」と人々が考え出しても不思議はない。
民主主義は国際金融の嵐にさらされている。だが、中にいるとそのことがよくわからない。暮らしに困窮した有権者がデモやポピュリズムなどの極端な行動に走らない限りそれが見えてこないのである。