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平気で嘘をつく? あの人たち

よく、殺人事件の容疑者の実家にマスコミが押し掛けて、両親を吊るし上げることがある。つるし上げのために「生育歴」という言葉が使われる。これを批判して「子どもの自己責任だから親を吊るし上げるのはおかしい」という人たちもいる。一体どちらが正しいのだろうか?
「平気でうそをつく人たち」にショッキングな話が出てくる。ある子どもが銃で自殺する。その弟の成績が下がってくる。鬱病を発症したらしい。弟は診療を受けるのだが、医師はショッキングな事実を知る。両親は弟に、兄が自殺で使った銃をプレゼントしていたのだ。医師は「これは、兄と同じように銃を使って死ねということですか?」と聞いてみるのだが、両親は話をはぐらかす。医師はどうやら、本当に治療が必要なのは両親ではないかと考えるが、彼らは自分たちが精神的に問題を抱えているとは思わない。

多くの人は精神的に問題があると「なんらかの罪悪感や苦痛」を感じ、社会的な活動が制限される。だが、ごく希に罪悪感も苦痛も感じない人もがいる。こういう人たちをサイコパスとかソシオパスと言う。彼らの犠牲になるのは周りにいる人たちで、子どもは真っ先に犠牲者になる。

最初の質問に戻る。ということは「殺人事件を起こした人がいるのなら、親も一緒に捕まえてくればいいだろう」ということになるのだろうか。残念ながら、話はそんなに簡単ではない。

私たちの中で完全な人格をもった人なんか一人もいない。また、自分の嫌いな人を「あの人は社会的じゃないからサイコパスに違いない」と言い出したらキリがない。社会的に不安が溜まれば溜まるほど、こういった疑念は広がってゆくだろう。どうやら一体どちらが正しいのだろうかという質問自体に問題がありそうだ。

どっちかにケリをつけたいと我々が考えているとき、そこにあるのは漠然とした不安感だ。疑念がありそうな人たちを独り残らず精神病院に送りつけても不安感は消えないだろう。

サイコパスにとって、社会正義の名の下に人を罵倒できるポジションは活躍の場所である。普通の神経を持っている人であれば聞けないような事を平気で聞く事ができるだろうからだ。

こういった人たちの中には社会的に成功している人も多い。罪悪感はある種「ブレーキ」になっている。この制約から解き放されると活躍しやすくもなる。自己啓発書の中には罪悪感から解き放たれることを勧めるものも多い。

最初の「平気でうそをつく…」の例は分かりやすかった。銃を子どもに贈るなんて、どう考えてもおかしいからだ。しかし、必ずしも分かりやすい事例ばかりとはいえない。それではどうすればいいのか。結局どっちが「悪いのか」とか、「是」か「否」かという質問から離れてみる必要があるということじゃないだろうか、というのがだらしない今日の結論だ。

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