安倍政権が大阪地検特捜部に「追い詰められている」。さらにトランプ大統領は日本に敵対的な貿易政策を打ち出して「安倍首相はアメリカにたいしていつも微笑んでいるが、それはアメリカを出し抜いているからだ」と語ったそうだ。
ここで思い出されるのはアメリカ陰謀論である。アメリカの機嫌を損ねた首相は地位を追われるという物語である。今回も安倍首相はアメリカの陰謀によって政権を追われるのだろうか。
アメリカ陰謀論に従えばアメリカに守られている政権は決して特捜部から「挙げられる」ことはないはずだ。実際にこの問題が国会で話題になって以降1年間は「特捜部は親米の安倍政権には絶対に踏み込まないのだ」などとまことしやかにささやかれていた。
だが、実際にはトランプ大統領はそのようなまどろっこしい手を使わなくても直接大統領令を発して日本を経済的に追い詰めることができる。また、恩を売ったからといってそれが相手に伝わっているとは限らない。こうした貸し借りの感情は極めて東洋的であり、西洋では却って不誠実さの現れになってしまう可能性があるのである。トランプ大統領の「安倍がアメリカに媚びへつらうのは計算あってのことであり、決して本心ではないだろう」という理屈の方がアメリカ人にはわかりやすい。
しかし、前回見たように日本の社会は気体のように流れ、変化も突然起こるように見える。そこで「誰かが裏で糸を引いている」ように見えてしまうのだろう。アメリカ陰謀論はそこから生まれたのだと考えられる。
アメリカ陰謀論が生まれる背景にはCIAによる日本政治への介入と、東京地検特捜部の成り立ちと関係しているようだ。CIAが戦後の混乱期とそれに続く時代に日本の政治に介入していたのは事実のようだ。しかし、CIAは日本だけでなく別の国にも選挙介入をしている。一方、東京地検特捜部はもともと戦前の秘匿資産を捜査するために生まれたのだという見解があり、孫崎享さんなどが持論を店展開している。法務省の幹部にはアメリカへの留学者も多いことから「今でもアメリカに支配されているのだろう」という疑惑の背景になっているようだ。
確かにジャパンハンドラーと呼ばれる日本利権はあるのかもしれないが、それが日本を支配しているというのは幻想にすぎない。しかし、アメリカ陰謀論は「日本はアメリカによって見守られている」という安心感も生んでいるのではないかと思う。
皮肉なことに、アメリカ陰謀論などないということを認めてしまうと日本はアメリカの庇護なしでやって行かなければならないということになってしまう。日本人はこれを認めたくないのではないだろうか。現にトランプ政権は日本を敵対的な貿易国として扱っている。この現実を受け入れてしまうと、日本はアメリカに守られて中国に対峙しているという幻想が消えて、二つの大国に挟まれた小国ということになってしまう。
ここで、実際に「アメリカの陰謀によって潰された」とされる政治家について見てみよう。この中で小沢一郎だけが首相を経験していない。
田中角栄
アメリカ陰謀論によると、田中角栄は日中間で国交を結んだことがアメリカ当局の逆鱗に触れたとされている。ロッキード事件に絡む情報をアメリカ政府からリークされて退陣に追い込まれたという通説がある。実際に日本側の調査では全容はわからず、アメリカで公開されなかった情報から疑惑の一部は謎のまま残っている。
田中角栄は政権基盤を磐石なものにするためには豊富な資金が必要だった。その調達をめぐって無理な<資金繰り>を行った可能性が高そうだ。ただ、この頃にはまだ戦後の混乱から資金や資産を獲得した人たちが残っており「全容を解明しようとしたら殺される」というような懸念が持つ人がもいるようである。また、ロッキード事件の裏には軍事兵器の調達計画なども絡んでいたようで、これが陰謀論に彩を添えている。
鈴木善幸
鈴木首相は大平首相が急死した後、突然首相になったという経緯がある。従来の主張と日米同盟という現実の間に緊張があり、それが親米派との間の対立という形で現れた。総裁に再選されれば首相を続けることができたが、突然不出馬を宣言した。このため、アメリカの陰謀があったのではないかとささやかれる原因になったそうである。アメリカのプロキシーだと言われている親米派は岸信介のようだ。
細川護煕
当時の自民党政権は「金権政治」という印象があり、細川はクリーンなイメージから担がれた。しかし、佐川急便からの借入金を未返済にしているということが問題視されて政権を追われた。
だが、支持率が下がった理由は別にある。金権政治を打破すれば政府が効率的に運用されることになり新しい税金は必要がないはずだという見込みがあったのだが、なぜか国民福祉税構想を打ち出し国民から嫌われた。
また、足元では武村内閣官房長官と小沢一郎の対立があったとも言われている。武村側が主張していた北朝鮮に融和的な姿勢が問題になったのだという指摘がある。内輪揉めの結果政権を失った経緯が不透明なので「アメリカの意向が働いたのかも」と指摘する人がおり、これがアメリカ陰謀論の元になっている。
橋本龍太郎
緊縮財政を行い村山内閣で決まっていた消費税の増税も行った。このため批判が収まらなくなり総辞職した。その後急死したためにアメリカから殺されたという風評が生まれた。
細川内閣の事例からもわかるように、国民は消費税増税を言い出す首相に「報復」する傾向があり、橋本龍太郎政権もその類なのだが、従来のスキームからの脱却を訴えた事例が見つかるとそれがクローズアップされてしまう。
橋本政権は特に反米というわけでもなかったのだが、陰謀論を唱える人たちは「過去にアメリカの国債を売ろうかな」と言ったから殺されたのだと主張している。
小沢一郎
政権側にいた時には親米だったのだが、自民党を離脱してから「反米になった」と言われた。東京地検特捜部に「貶められた」時には、反米になったから東京特捜部に狙われたのだと説明された。だが、実際にはその時々のパワーバランスをうまく利用しようとしただけとも言える。
小沢は自民党内で政争をしかけることでのし上がってきたという経緯があり、細川首相を担いで非自民勢力の一員となった。しかし、細川内閣が崩壊して政権にいられなくなったことで収入源を奪われて、従来のスキームが使えなくなった。
アメリカ陰謀論からわかること
日本の政権は表向きは選挙で選ばれたことになっているのだが、実際には内部のパワーバランスによって担がれたり降ろされたりしている。また中心的な首謀者がいるわけではなく、その時々の空気によって動く。誰かが首謀しているように見えてもきっかけにすぎない。すると誰も指示をしている人がいないのに、なんらかの意図があって動いたように見える。そこで「誰かとても重要な人からの指示を受けて動いているのだろう」と思われてしまうのではないだろうか。
そもそも強いリーダーシップが嫌われるので、既存スキームを動かすリーダーは排除される可能性が高い。消費税などはその一例だが、日米安保も既存スキーム担っているのだろう。
安倍政権はアメリカに追従していたから存続していたわけではなく、既存勢力に挑戦しなかったからこそ「便利に」担がれていた可能性が高い。だが、官僚という本来は政権を支えていたはずのパワーバランスを崩してしまったために内部から崩壊が始まった。
とにかく現状維持が目的になっているので既存のスキームを変更する試みは打ち砕かれることになる。この際たるものが憲法だ。政権が安定しないと憲法議論には着手できない。しかし、みんなを納得させて憲法議論を始める頃までには何らかの無理がかかっていて、それ以上政権を維持することができなくなっている。もともと明確な契約のもとに権限が移譲されているわけではないので「権力そのものが強くなる」と内部から崩壊してしまうのだ。
日本の政権は特に明確な約束の元に政権を預かっているわけではなく、みんなが見切りをつけたら自分も見切りをつけるという人が多いのではないかと思う。何かのきっかけで顔のない一部の人たちが離れ始めると、一気に「見切りをつける」人が増えるのだろう。だが、政権への離反が「なんとなく」起こるので、そこに意味を見出したいと感じる人がアメリカを持ち出してくるのではないだろうか。